第五話 ダンス!ダンス!ダンス!(銀河系中心と腕)

 ある時、僕こと、大越裕一が大学の食堂でかなり遅いお昼ご飯を取っていると、物理の竹本教授がやって来た。そしていきなり大きな声で尋ねてきた。
「大越くん、大越くん。森本さんはどこに行ったんだい?」
(あいかわらず大きな声だなぁ・・・)
と変な感心をした後、何も考えずにさらっと返事をした。
「え?研究室にいませんでしたか?今日は授業もないからずっと籠もっているはずですが・・・」
言いながら何かイヤな予感がした。またどこかで怪しげな事を考えてるんじゃあ・・・さっき僕が出るまではちゃんと研究室にいたのに・・・。
「伝言でしたら伝えておきますけど?」
「いや、それならメールでやるからいいんだけど、例のマイスナー効果の実験がうまく行ってね。晩ご飯に招待しようと思ったわけだよ。」
僕は眉をひそめそうになり、何とか我慢した。確か「例のマイスナー効果」とかいうのは、強磁場で食品を浮かせて、挙げ句にリニアモーターカーと同じような原理で食事をする人の前まで浮かせたまま運んでくるというやつだ。
普段から
「科学とは遊びのためにある!」
と言ってはばからない竹本教授のことだ。たぶんこのイタズラネタをいろんな人に披露したいんだろう。
「森本さん、楽しみにしてたからわざわざ行ったんだけど・・・どこに行ったのかなぁ・・・?」
「見かけたら伝えておきますよ。」
それを聞くなり一笑破顔した竹本教授は
「そうかそうか、じゃあよろしく頼むよ!君も是非来てくれたまえ!」
とひときわ大きな声で話し、僕の背中をバンバンと叩いた後食堂から出ていった。
後には妙にしーんとなった食堂と、周りの人の僕に対する冷たい視線だけが残った。そそくさと食事を済ませ、その場を立ち去ったことは言うまでもない。はぁ・・・食事もゆっくりとれない生活って・・・

 研究室に戻ると、教授である森本武彦が何やらゴソゴソしていた。僕が入ると「ひょい」と顔をあげ、獲物を見つけたハンターというか、おもちゃを見つけたこどものようにニンマリと笑ってくれた。思わず見なかったことにして引き返しそうになったが、それを許してくれるほど甘いはずもなかった。
「丁度良いところに来たねぇ。手が足りなくて困っていたんだ。」
逃げられないことを悟った僕はあきらめた。こうなったらもう何を言ってもダメだろう。
「はぁ・・・そう言えばさっき竹本さんが探してましたよ。」
「ああ、あの件は了解してるからいい。それでだな、早速で申し訳ないが、観測室に行って観望会用の望遠鏡をばらして箱に直しておいてくれないか。」
観測会用の望遠鏡とは、この間建設されたばかりのでっかい十五mドームの真ん中に据え付けられている、口径二十cmのシュミットカセグレン望遠鏡に違いない。確か二十五万円くらいで買って来たやつで、主に月一回催されている一般向けの観望会で使用されている。一回一回外に運び出して組み立てるのは面倒だから、とドームの中に鎮座させていたはずだが、あきらめたのかな?
「はぁ、それは構いませんが、するとこの後の観測はどうするんで?4年生の卒論観測もそろそろ始めないといけませんが・・・」
「ふっふっふ、その点はぬかりない。中古の望遠鏡を手に入れる算段がついたんだよ。」
「まさかどっかの公開天文台からもらってくるんですか?」
四十~五十年ほど前に大きな口径の望遠鏡を持つ公開天文台が日本の各地に建設された。当時はそれなりにお金があったのと、国からの補助金でハコモノを作りたい放題だったという。ただしその後の運営のことを考えているところは少なく、折からの平成不景気とそれに伴う赤字の大幅増加に音を上げ、さらにはリニューアル費用のあまりの高さに目が飛び出した担当者が続出するに至り、ついに店じまいをするところが増えたのだ。で、その宙に浮いた望遠鏡を地方大学がもらってくる、という構図がここ何年か続いている。
「ちょっと違うんだが・・・だが口径は一・五mだ。」
「一・五mですか?それって群馬の・・・」
「だから~、別に公開天文台が持っているヤツとは言ってないだろう?群馬のは今でもぴんぴんしておる。」
「じゃあ、一体どこの・・・」
「JAXA(Japan Aero Space Experiment Agency:日本航空宇宙研究開発機構)が小金井に持ってるやつだよ。」
「ちょっ、ちょっと待って下さいよ。小金井って言ったら旧NiCT(National Institute of Information and Communications Technology:情報通信研究機構)のやつでしょ?あれって四十年以上前のやつじゃないですか。」
NiCTはCRL(Communication Research Laboratory:通信総合研究所)とTAO(Telecommunications Advancement Organization of Japan:通信・放送機構)が統合されて発足したが、現在では解体され、幾つかの研究所に分かれている。小金井は日本の宇宙開発組織再々構成の際に丸ごとJAXAの中に組み込まれ、通信系及び衛星追跡系の中心研究所となっている。その際、種子島に新しい望遠鏡が整備され、予備役になっている望遠鏡があるとは聞いていたが・・・
「うむ。記録によると旧郵政省時代に建設されたとあるな。一九八八年だそうだ。」
「もうちょっとで半世紀になるじゃないですか!ちゃんと動くんですか?」
「予備役とは言え整備はやってるし、システムも最近では十年前に入れ替えてるな。それに衛星追尾が出来る望遠鏡は国内にもそう多くはない。あれは以前に見たことがあるが、良い望遠鏡だぞ。確かH―2Aの一号機もこれで追尾したはずだ。」
へぇ、そうだったのか。よくそんなことを知ってるな。などと感心している場合ではない。そんなものをもらってきて一体何に使うのか?それに誰がそれを整備するのか?そして手伝うのは?
そんなことを考えて暗くなったとき、隣の部屋からチッチさんが顔を出した。
「教授、井手さんから電話です。」
教授は嬉々として受話器を取った。他人の気持ちも知らないで・・・
「おお、ちゃんと手に入ったろう?で、もう少しかかると。わかった。ではこちらは大越くんと受け入れ準備を始めておくよ。」
やっぱり・・・・・ちゃんと数に入ってるんだ。

 しかし考えようによっては良い話だ。観望会用に仮設置された望遠鏡にCCDをつけてお茶をにごしたり、まだまだ制御に難ある小口径のPSTで何とかデータを取ろうと奮闘しなくても、一・五mもの口径の望遠鏡が手元にあればかなりの研究をすることが出来る。しかも衛星追尾や上昇中のロケットの追尾が出来るような望遠鏡なら、異常接近する小惑星などの追跡観測も簡単に出来るはずだ。
そろそろ博士論文にも取りかからないといけない頃だし、観測装置を自前で準備できるというのは願ってもないことだ。ハワイや宇宙望遠鏡群、月面天文台なんていつ利用できるかわからないからなぁ。
とはいえ、そんな望遠鏡を何に使うつもりなんだろうか?変な話でなければいいんだけど・・・ちょっと地雷を踏んでみたくなった。自分から地雷を踏みに行くとは、我ながらマゾっ気が出てきたのだろうか?それとも溢れんばかりの知的好奇心を抑え切れないが故の行動か。
「教授。ところでそんな望遠鏡で何を観測するんですか?」
その一言が訊いてはいけない一言であったことは、教授がニヤッと笑ったその顔から容易に理解できた。やっぱり地雷だったのだ。
「銀河の研究さ。それも腕に関する新しい理論だ。」
銀河の渦巻。その渦の一本一本を「腕」と呼ぶ。まぁこれは英語の「arm」をそのまま訳しただけだ。もちろん星やガスがその腕の部分に集中しているため、そのように見えるわけだが。
だが、この腕が出来たメカニズム、そしてその腕が何十億年もの間維持されるメカニズムに関しては、あまりよくわかっていない。最も有力なのは「密度波理論」と呼ばれるもので、一度できた腕は周りよりも重力が強く、腕を通り過ぎようとする星はまず腕に引っ張られて加速され、続いて出ていくときには減速されるために、腕の部分に留まる時間が長くなる。また、そこではガスも濃くなるので、新しい星も腕の部分で大量に生まれる。そのために腕の部分には星がいつでも多くあり、形を保っているという理論だ。
そしてマイナーなものとしては電磁気力によって渦の形が維持されている、という理論がある。まぁ、詳しくは話さないけど。
しかし不気味だ。教授はその辺に一石投じようというのだ。しかもきっと・・
「うむ、何故あの渦巻を『腕』と呼ぶのか?これは接近したときに握手するためのものに違いない!そしてZ型とS型は、人間で言うところの右利き・左利きを表すものなのだ。」
「いや、あの、表から見た場合と裏から見た場合を示しているだけだと思うんですが・・・・・」
「そう言う解釈が成り立つ余地があるかもしれんが、私の理論によればだ、そう言う単純な問題ではないのだよ。」
いや、「解釈が成り立つ余地」が云々ではなくて、立派に「表裏」の問題だと思うのだが・・・・・しかしこうなった教授は何を言っても聞いてくれた試しがない。どうせまた変な理論に違いないとすでにあきらめムードだが、一応訊いてみよう。訊かないよりはマシだろう。いや、訊かない方がマシかな?
「教授、で、その理論とは?」
「決まってるじゃないか。君も知っているだろう?『銀河=蛍』説、GF理論さ。」
またあれか・・・もうとっくに諦めたと思っていたのに、まだ残っていたとは・・・。仕方ない、学会の良識に従って、ちゃんと言うべき意見は言っておこう。
「しかし、GF理論は否定されてはいませんが、肯定されてもいませんよ。まずは証明するところから行かないと・・・」
「その証明のためには少々問題点があることがわかってな、ちょっとだけ修正を加えたのだよ。」
修正を加えて現実に合うようにする。宇宙物理学の分野ではよくやられる手法だ。例えばビッグバン理論。そのままでは合わないからと、ダークマターを仮定し、さらにその中にはホット(速度の速いもの)とコールド(速度の遅いもの)があることにし、その比率で宇宙の姿を説明しようとする。一度年齢問題が浮上したときには、さらに宇宙項を導入してつじつまを合わそうとしたことがある。どれもちゃんとは発見されていないものばかりだった。ただの数字あわせにしか過ぎず、研究態度としてはあんまり誉められたものではないと思われたのだ。しかしその教訓は今に活かされず、教授もまた同じ轍を踏もうとしている。
「いえ、ですから、証明されていないのに修正を加えるのはどうかと・・・」
「理論とは少しずつ修正されていくものだよ。ビッグバンだってそうだったじゃないか。」
「でも仮説に仮説を重ねるのはあんまり健全じゃないんじゃないですか?それこそビッグバンもそうでしたよね?」
「君も往生際が悪いね。」
いや、往生際が悪いのは僕じゃないぞ、絶対。教授の方だってば、誰が見たって。よくもまぁいけしゃあしゃあと、と言いたいところだが、そこはあえて我慢した。どうも日和見主義だなぁ・・・僕も。

 はぁ・・・と、溜息をついてみる。何も変わらないんだけど、つかずにはいられない。
「で、それと今回の望遠鏡とはどのように繋がってくるんです?それこそPSTの方が観測には有利だと思いますが?」
「そりゃ解像度を考えるならそうかもしれないが、今回は出来るだけ多くのサンプルを集めるのが目的でね。どちらかというと集光力の方が重要なんだよ。」
サンプルか。どういったサンプルかは訊くのはコワイからやめておこう。もう十分遅いような気もするけど。
と話題を変えようとした。
「わかりました。じゃあ取りあえず望遠鏡を片づけておいて、井手さんと業者が到着するのを待つんですね?」
「そうだ。だけどどうやら時間がかかるらしいし、片づけなんか直ぐに出来るだろ?そこでさっきの話の具体的な観測計画を練りたいんで、ちょっと付き合ってくれ。」
チッ!何とか自然に話題を変えて部屋から出ていこうとしたのに、敵もさるもの、きっちりとごく自然に話を元に戻してくれた。あ~あ、また変な理論を拝聴する栄誉をいただけた訳か。
「まぁ忙しいのは知ってるから申し訳ないんだが、うちの研究室では君は観測の第一人者だし、頼むよ。あとで一緒に竹本さんのところに連れて行ってあげるから。」
うえ、もしかしてさっきの食堂での話か。あれは遠慮したいぞ。
「いえ、そんな・・・」
「ああ、遠慮はいらん。ちょっと待ってろ。あ、竹本さん?森本だけど。ああ、さっきの話しな、うちの大越くんと一緒に行くから。ああ、よろしく頼むよ。・・・という訳でOKが出たぞ・・・って何をしているのかね?」
「いえ、ちょっと・・・・・」
立ちくらみがしました、とはちょっと言いにくい。下手なこと言うと
「竹本さんのところで栄養のある物を」
とか言われそうでコワイから、黙っておいた方が得策であることを学んでいた。
「まずだ。GF理論は覚えてるな。そこからの修正点を話す。」
「はい。」
気分は絶望的だったが、聞かないわけにもいかない。聞いてなかったりしたらもう一回同じ事を聞かされて、さらにイヤになるというのも、これまでに学んだことだ。
「考えたんだが、銀河が生きているか否かは、何も通信による方法以外にも、接近したときの振る舞いを見ればわかるということに思い至ったのだよ。ほら、蛍も交尾の時にはお互いに接触するだろう?あれと同じだ。」
「銀河同士が交尾するんで?」
それはちょっといやな光景だぞ。
「いやいや、いくら何でもそこまではな。しかしコンピューター・シミュレーションで明かされたように、複数の銀河が接近すると、お互いの内部がかき乱され、スターバースト現象が起こったりして、銀河自身の活動が活性化されることがわかっている。」
「まぁ、定説になってきてますね。」
「そうだろうそうだろう。」
教授は、我が意を得たり、といわんばかりに勢いづいて話し始めた。
「つまりだ。銀河はお互いに相互作用することで大きくその状態を変化させる。もう星は生まれないかもしれない、という楕円銀河がマージャーを起こすことで新たな星が生まれたりもする。」
「はい。」
「つまり、これは『脱皮』に相当するわけだ。または生まれ変わりかな?」
「はぁ・・・・・」
その辺は「脱皮」だろうが「生まれ変わり」だろうが、それこそサナギが蝶になる「変態」だろうが、こういった銀河が起こす現象に対して、言葉を定義をどうするかだけなのでなんと呼ぼうと自由なのだが・・・・・。
教授は何も反論しない僕が納得したものと考えたのか、より一層機嫌良く話を続けた。
「つまりだ、彼らは重力をよりどころにして接近を行うが、それにより自らを活性化し、『脱皮』する。そのための意思疎通やら何やらのために中心核の明滅という形で交信を行っていると考えたわけだよ。」
「いや、でも『何を』交信してるんですか?」
「さぁ、それは解析してみないと何とも言えんなぁ。やはりこういう『脱皮』は新たな状態への移行を目的としているから、『一緒に脱皮しませんか?』じゃないか?」
「『一緒に脱皮』ですか?」
「そう。それが我々の求愛行動に類するものなのかもしれんなぁ。まぁ類推でものを言うのは科学者としては慎まないといけないから、これ以上は言わないがね。」
いや、これまでだって十分類推でモノ言ってます、確実に。お願いだからそんな変な妄想はあきらめてください。っていうか、さっきの言葉が本心だとしたら、「脱皮」の方は類推じゃないとでも言うんだろうか?教授の頭の中では一体どんな処理が行われて、「類推」と「類推じゃないモノ」が分けられているんだろう・・・?
そういう考えがずーっと頭の中を渦巻きながら、教授の話を聞き流していた。
「・・・というわけで、ダンスしながら彼らは『脱皮』するんだ。どうだね、すばらしいと思わないか?あれだけの巨大な者同士が交信を行い、自ら『脱皮』するために、相手をダンスに誘うんだよ!想像してみたまえ。Z型S型が手をつなぎ、ダンスしながら新しく生まれ変わるシーンを!」
「え?ええ・・・。」
なんかいやなシーンだなぁ・・・想像できちゃったよ。こういうときは自分の豊かな想像力を恨むよなぁ・・・。
「それを統計的に処理しようとしてるわけだが、すると短時間に大量のサンプルを入手する必要があるだろ?そこで分解能よりも集光力を優先して、大型望遠鏡を入手しようとしたしたわけだ。」
「で、一・五mですか?」
「そうだ。国内では最大級の望遠鏡をいつでも使えるようになるんだ。」
「なるほど・・・でも大量のサンプルが必要ならSDSSのデータでも結構な量になると思いますが・・・あれは口径四mの望遠鏡でデータ取ってませんでしたっけ?」
「ああ、それは考えてなかったな。でもまぁ良いじゃないか。欲しいだろ?望遠鏡。」
「はい。」
教授のニヤッと笑った顔を見た瞬間、「しまった!」と思ったが、もう遅かった。自分から飛び込んでしまって、逃げられなくなった自分に気が付いた。確かに望遠鏡は欲しいからいいけど・・・まぁテストにかこつけて、自分の観測はさっさとやってしまおう。うん、それが良い。あとは教授の観測は後輩達に任せても良いんだし。
「じゃあ、受け入れ準備をしてきますね。」

 やれやれ、教授にも困ったもんだ。まぁ大口径の望遠鏡が手に入る分のはありがたいし、井出さんもおもちゃが増えてうれしいだろうが、チッチさんはどう思ってるんだろう?つーか、そんなのメンテナンスにもすごくお金がかかるはずだけど、大丈夫なんだろうか、研究費?
そんなことを考えながら観測室の方へ向かって歩いていく。何度か後輩がバタバタといろんな機材を運び出しているところに出くわすのをみると、すでに片づけが始まっているようだ。
(急いだ方がいいかな?)
そう思って少し早足で観測室に行ってみると、すでにチッチさんが来ていて、陣頭指揮を執っていた。
「お疲れ様です。」
「あら、大越さん、教授の話は終わりました?」
「ええ。また相変わらず変なことを考えてるみたいです。」
「まぁ、いつものことですね。」
ため息もつかずにチッチさんは断言した。どうやら教授が何を考えてるかも知っているんだろう。よくやってるよなぁ、この人。
「でも一・五m望遠鏡なんて、メンテナンスが大変だと思うんですけどね。よっと!」
ドームの床に赤道儀の足となるピラーを固定していたボルトを外し、ピラーそのものも片づけるために持ち上げた。
「確かにね。でもメンテナンス予算もちゃんと準備できてますから、ご心配はいりませんよ。」
「そうなんですか?よくそんなお金がありましたね?」
「望遠鏡を入手したのと同じ経路ですよ。まぁ、こういうのはどうにでもなるもんなんです。それより、それはどうするんですか?」
「ええ、観望会自体は続ける必要がありますから、とりあえずは表に設置してカバーを掛けておく予定です。ホントは小さなドームなりなんなりが準備できるのが理想的なんですが・・・」
「じゃあ、教授に言って、その予算を出させてきますわ。」
そう言うと、チッチさんは研究室に戻っていった。なむさん。すみません、教授。僕はまた教授に寄付を強要することを言ってしまいました。まぁささやかな反乱だと思ってください。

 後日談だが、一・五m望遠鏡は無事設置され、どうやらチッチさんは「寄付」を取り付けることに成功したらしい。今、ドームの隣には観望用望遠鏡のためにスライディングルーフが作られつつある。
もう一つ。それに対する仕打ちかどうかはわからないが、その夜、逃げ遅れた僕が竹本教授の「晩餐会」に参加させられてしまったことを付け加えておく。
 

太陽風に乗れ! ~栄光は誰の手に~

登場人物
ヒカリ・カワモト(川本光)十九才、日本・韓国連合代表のパイロット
ジョルジュ・ルイ 二十二才、ヨーロッパ連合のパイロット。フランス人
ブラック伯爵 四十四才、国籍不明の大富豪
女性アナウンサー 三十一才、某日本国営放送の実況中継担当

 

時に西暦二〇六一年四月十二日


プロローグ

 無限に広がる大宇宙。そこには数多くの星があり、幾千ものドラマが演じられている。生まれてくる星、死んでゆく星。そしてまたそれらの星の死がもたらした爆風から、星間ガスが集められ、再び新たな星が生まれてくる・・・宇宙は人間にとって、無限とも思われる時間の中で、このようなサイクルを幾度となく繰り返してきた。そしてこれからも繰り返していくことであろう。
そんな宇宙の片隅、銀河系のオリオン腕と名付けられた空間の一角に、地球という星が存在している。誕生から約五十億年を経たその星は、現在のところ「ホモ・サピエンス(人類)」と呼ばれる種族が繁栄し、その表面のほとんどを制覇していた。
二十世紀と名付けられた時代の中頃に、その名付け親であるホモ・サピエンス――人類――は宇宙と呼ばれる、彼らの支配している表面から垂直方向に離れたその世界に、記念すべき第一歩を記した。それはロケットと呼ばれる機械を使用することで達成された。最初はロケットに乗ることを許された、いや乗るために死にものぐるいの努力を強いられた一部の人が、そして続いてシャトルと名付けられた機械による宇宙往還システム確立後には研究者達が、さらには一般人が。今や宇宙は人類にとって、希望さえすれば誰でも行ける場所になりつつあった。
そして最初のささやかな一歩から約一世紀。今や他天体にまでその版図を広げつつある人類は、宇宙において新たなスポーツを生み出した。それは太陽からの光を動力にする帆船を操るスポーツ。莫大なる資金と時間とを投入する金持ちのレース。そして国や地域の威信をかけたレース。人々はそれを「ルナカップ・レース」と呼んでいた。
西暦二〇六一年、新たな時代を迎えたこのレースが、再び開催されることとなった。この広大な宇宙の片隅で、熱き戦いが今始まろうとしている。

地球軌道上

 眼下に太平洋の青い海原が見えている。その端に見えている陸地は、東南アジアのあたりか。人類による汚染が進んでいるとはいえ、太平洋は未だこれまでと同じ色をたたえて、この星に住む生物たちを見守っている。
その遙か上空、高度千キロメートルの軌道上を、隊列を組むかのように十隻の船が漂っている。他の高度にも様々な人工衛星や作業中のシャトル、これから月面上に建設された都市群や建設中のスペースコロニーへ向かう宇宙船が航行しているが、これらの船とは明らかに違う目的を持つ船たちだ。そう、四年に一回のレースがまた始まろうとしているのだ。

 「いたっ。」
ヒカリ・カワモトは艇内で地球軌道上の最大規模のステーションである、「クラーク・ステーション」内にいるクルー達と最後の通話をしているところだった。
「何かあったのか?」
艇外に取り付けられたカメラから送られてくる映像の一角を切り取るかのように設けられたサブウィンドウ。その中に映し出されたクルーの一人が心配そうに声をかける。ここでヒカリにトラブルが発生したりすれば、彼らチームは棄権を迫られることになるからだ。
「うん、ちょっとね。頭を起こそうとしたんだけど、髪の毛を挟んだままだったのよ。大丈夫。」
「ならいいけど・・・挟むって、どこで?」
「あ、うん・・・椅子と背中・・・・・」
彼女のこの消え入りそうな、恥ずかしそうな声は、仲間の爆笑に取って代わられた。
「何よ何よ、そんなに笑わなくたっていいでしょう!」
膨れて見せた彼女に、最年長のチームリーダーがわびの言葉を入れる、笑いながら。
「いや、悪い悪い。相変わらずドジなところがあるなと思ってな。」
「どーせ、ドジですよ。『あんなドジに任せて大丈夫なのか』とか思ってるんでしょう。ね、キョーシロー。」
キョーシローと呼ばれた男は微笑を顔に張り付かせたまま、意味ありげに顎をなでながら返事をした。
「そうさなぁ・・・もし自慢の髪が操船の邪魔になるようだったら、すぐに言ってくれ。交代しに行くから。」
「その時には理容師を呼ぶわ。これにはあたししか座れないんだから!」
彼女は自分の座っている椅子を指さした。実際問題、この特注の船にはパイロットは一人しかいない。そしてそのパイロットの体にフィットするように椅子も特注で製作されていた。今からパイロットを交代するには、椅子ごと交換しなければいけないのだ。もちろんそんなヒマがあればの話だが。
「そう怒るな。致命的な問題を起こすようならそもそもパイロットなんかにゃなれんよ。」
キョーシローがなだめる。彼はこの半年間、ヒカリとパイロットの座を争っていたのだ。資格も取れないようなひよっこ相手に負けたとあっては、プライドはズタズタだろう。もっとも、二人ともずば抜けて優秀な成績を修めているのだが。
この話は学校の中では、特にチームの中では有名な話だったが、このやりとりの背景にそんな逸話があろうとは知らず、気づかない者も中にはいた。
「そうそう、今の内にドジっといたほうがいいぜ!」
若いエンジニアが混ぜ返した。これがさらに笑いの輪を加速する。が、これにはヒカリも参ったらしく、つられて笑ってしまった。
「そうね、今のでドジはお終い。次は表彰台の上でやることにするわ。」
「OK、その調子だ。頑張れよ、ヒカリ!」
「ヒカリ、絶対優勝だぞ!」
「こわすなよ。」
「ミスって地球に落ちるなよ!」
仲間達の励ましの声が心地よい。
「そこまで下手くそじゃないわ。まかせなさいって!」
通信時間が終了した。これからは一人の時間がやってくる。約十四日間に及ぶ孤独な旅。そして栄光を掴むための旅。ヒカリは艇内を見回し、全てが順調に動いていることを確認した後、気合いを入れ直すかのようにこうつぶやいた。
「さあ、行くわよ。頼むわね、相棒。」
そう、間もなくスタートの時間なのだ。

 「全世界百二十億人のみなさま、長らくお待たせいたしました。まもなく、第一回ソーラーヨットレースが始まろうとしています。」
アナウンサーの声が3Dテレビから、ラジオから響き渡る。観ている者、聴いている者は地球上の各都市や集落を始め、洋上の船舶、北極海上空を飛行中の旅客機の中、月面に建設された都市、さらには建設中のスペースコロニーの作業場にまでも及んでいた。「全人口のうち約六割は見ているだろう」というのが、各国・地域のビデオリサーチ会社の予想だった。もちろん、数時間もすればこの数値にはかなりの信憑性が与えられるだろう。そういう意味での注目度は、サッカーのワールドカップにも負けないものがあった。
これだけの注目を浴びるソーラーヨットレース。正式名称「ソーラーセイルド・ヨットレース」は、これまで「ルナカップ」と呼ばれていた。西暦一九九二年の国際宇宙年にあわせて、当時の先進各国の大学が中心となり、無人のヨットを月軌道にまで送る、そのスピードを競おうと考えていたものである。そしてその原点はSF作家アーサー・C・クラークが一九六三年に発表した短編小説「太陽からの風」にまで遡る。この小説の中で行われた「太陽ヨットレース」が元なのだ。
「ルナカップ」自体は最初、ヨットの打ち上げ費用が思ったよりかさむのと、その後の世界的な不況の影響を受け、二〇世紀中には実現しなかったものの、二〇〇九年に第一回大会がアメリカ、フランス、ドイツ、日本の四カ国の大学が参加して行われた。その必要とされる技術レベルの高さや、勝負に高度な駆け引きが必要な事から、すぐに「地上のロボットコンテスト、宇宙のルナカップ」と呼ばれるまでに急成長した。惜しむらくは打ち上げ費用のあまりの高額さのため、四年に一回の開催を実現するのがやっとだったのと、太陽の十一年周期の活動期の影響で開催できない年があったことだろう。そのため(就職を目指し)より現実的に多くの実績を作ろうとする者は「ロボット・コンテスト」出場を目指し、四年に一度の大舞台という夢を選んだ者が「ルナカップ」を目指した。
だが時代は変わった。二〇〇三年に国際宇宙ステーションを完成させた人類は、その版図を周辺の宙域のみならず、月面にまで押し広げ、恒久的な居住地を建設するまでになった。さらには五カ所あるラグランジュ・ポイントにコロニーの建設を始め、「大航海時代」が宇宙において再現されつつあった。各国は宇宙航行の技術だけではなく、それを操作する人材――パイロット――の育成にも力を入れ始めた。
それに伴い、「ルナカップ」も様変わりせざるを得なくなった。この宇宙時代にイニシアチブを取るには「世界一の技術力と人材を擁する国」という名を持つ必要があり、それを得るための場が必要になったのだ。各国はそれを「ルナカップ」に求めた。優秀なパイロットと船とを準備し、レースという形で競うのだ。そしてその第一回大会は、旧ソビエト共和国連邦の宇宙飛行士ユーリー=ガガーリンが人類初の宇宙飛行を行って百年目の今年、つまり二〇六一年に設定された。別な言い方をすれば、それだけ人類の版図が広がったのであり、船に事故がおこった場合でも、パイロットを救助できる体制が整った、と言っても良いだろう。

 使われる艇はどのようなものなのだろうか?実はこれにはエンジンに相当するものがない。では一体どうやって前に進むのだろうか?
「各艇は太陽からやってくる光を、全長約二キロメートルの帆で受けて前に進みます。まさにヨットそのものです。しかし『光を受けて進む?そんな馬鹿な!』と思われる方もいるでしょう。そういう疑問は当然です。この重量二トンの船は最初の一秒間では一ミリメートルも動きませんし、一分でも約一メートル、時速百三十メートルくらいです。でも一日経つと時速二百キロメートル以上、一週間後には時速千四百キロメートル以上にもなるんです!」
3Dテレビの画面を見ていた者達は、解説者がCGを巧みに使いながら行っている解説を半信半疑で聞いていることであろう。彼らは一様にこう思ったはずだ。
「光に圧力があるって?そんな馬鹿な。おれは何にも感じないぜ。」
もちろんそうだろう。解説者は言わなかったが、光の圧力は一平方センチメートルあたり〇・五ミリグラムにしかならない。人間の身でこれを感じるためには、夏休みに砂浜に寝ころんでいる時、風が吹いた後に体の上にさっきより一粒多く砂が乗っかっていることが分かるぐらいのことが、最低でも出来ないといけないのだ。感じられる方がどうかしていると言わざるを得ないだろう。もっとも世の中には感じるはずのない圧力や加速度を感じると信じている人たちもいるのだが・・・。
「レースは地球の周回軌道をスタート地点とし、地球を何周か回る間に太陽からの光で加速して、一路月を目指すのです。そして、月の裏側の写真を撮り、真っ先に送ってきた者が、優勝者となります。」
「加速に要するのはおそらく三十周くらいだと思います。ゴールには二週間ほどかかるでしょう。」
アナウンサーがルール説明をした後を、解説者が力学計算の結果を基に補足した。もちろん全てがコンピューターの計算したとおりに動くわけではないが、だいたいの線を視聴者に理解してもらうためなのだろう。アナウンサーも解説者の言葉に耳を傾け、しきりに頷いている。
「それと今回からルールの改正があります。前回までは無人のロボット船でしたが、今回から人間が乗るということで、相手の妨害を行ってもかまわないことになりました。ですが、相手の艇を故意に破壊した場合は、その場で失格となります。それとレースの続行が無理な場合には、救助を要請すれば、待機している宇宙船が駆けつけ、クルーを救助する事になります。」
だが実際にはどの艇もギリギリまでは救助の要請などはしないであろう事は、簡単に予想できた。学生チーム同士のレースならいざ知らず、このレースには多額の資金が投入され、国家の威信などというものまでが絡んできている。さらには非合法ながらトトカルチョまでが催されており、下手に棄権しようもんならレース後の命が保証されないのではないかと、おびえるクルーまでいるほどだ。

 「それではここで、エントリーしている各艇をご紹介しましょう。まずはエントリーナンバー一番、NASA、ロシア宇宙機関合同チームのイーグル号。アポロ十一号にあやかって、月へ一番乗りを目指そうというのでしょう。」
一世紀前には宇宙での覇権を争っていた二国が協力して送り込んできた、長方形の帆八枚を放射型の並べたタイプだ。最初は「ガガーリン」とか「ボストークⅡ」とか命名しようとしていたようだが、相変わらず財政難のロシアが拠出分担金の減額を申請したため、名前はアメリカが決めることになったらしい。これも締め切り直前までかなりもめたらしい。

「二番、この名前は搭乗者の趣味丸出し、ヨーロッパ共和国連邦のニンジャマスター号。」
ドーナツ型の帆と十字型の帆の二種類を組み合わせたタイプだ。パイロットの趣味でこのような名前が付けられたらしいが、こちらも命名はかなりもめたらしい。四十年ほど前までは経済的には統合されていたものの、政治的にはいくつかの国々の連合体であったヨーロッパ共和国連邦は、今でも高齢者の間で旧国家への愛情が残っている。それぞれの国から参加しているスタッフが自分の出身地域にちなんだ名前を出し、それが元での争いも絶えなかったという。
「それならばいっそのこと、パイロットに好きな名前をつけさせろ」
ということになり、日本の時代劇にはまっているパイロットが命名した名前がこれであった。この名前を聞かされた全スタッフは
「なんでヨーロッパの船なのに、ジャパンの名前を採用するのか?」
と大いに嘆き悲しんだという。

「三番、彗星のように速く、という意味なのでしょう、オーストラリアのコメット号。」
イーグル号と同じく八枚の帆を持つタイプである。ただ帆を操縦席のまわりに張り付かせているイーグル号と違い、コメット号の場合は操縦ユニットの後ろ側に帆を統合するユニットがつけられている。方向転換のために帆をすぼめたその姿は、彗星の様にも見えないことはない。彗星と言えば、七十六年前に近日点を通過した接近したハレー彗星は、今また近日点に接近しつつある。前回の再接近時に、世界中からパックツアーが訪れたオーストラリアは、このレースにもお祭り騒ぎの再現をかけているようだ。優勝した暁にはハレー彗星とレース合同の祝賀祭が予定されている。レースが不調だった場合には、彗星だけででも何とかしようという腹だろう。

「四番、はたして幸運はあるのか?アフリカ連合のクローバー号。」
約一世紀前に西欧諸国から独立を果たしたアフリカは、飛躍的発展を遂げた地域と、遅れを取り戻せない地域とに二分されることとなった。このレースには、南アフリカ共和国やエチオピア王国などの進んだ地域が連合して船を建造していた。艇は名前の通り、三角形をした四枚の帆を持っている。全体的に見ると正方形をしている。

「五番、これはもうちょっとひねった名前が欲しかったような気がします。月行きの超特急、日本・韓国連合チームのルナ・エクスプレス号。」
三菱型の帆を展開したルナ・エクスプレスは、科学技術面でも経済面でも地盤沈下の続いている日本の、再起をかけた産官学共同プロジェクトの産物である。しかし地盤沈下した経済状態ではプロジェクト費用を捻出できず、日本は隣の国、韓国とチームを組んで来た。また韓国の方は旧北朝鮮を統合した後、一時は文明の近さから中国よりの立場をとることが多かったが、近年は中国の指導部で再び勢力を強めつつある中華思想に反発し、再び日本と組むようになっていた。いずれにせよ両国とも単独で船を出せるほど、経済状態は良くはなかったのだ。

「六番、某SFの影響でしょうか?アメリカ・カナダ大学連合チームのエンタープライズ号。」
今回参加したチームの中で、最もお金をかけていない艇を建造したのがこのチームだ。特に古き良きルナカップ時代の伝統を守るべく、完全に学生主導で建造された丸い帆は、アメリカ人の間でも誇りにすら思われている。今なお世界のトップを走る人材を輩出し続けているアメリカは、あくなきチャレンジ精神を保ち続ける必要があり、そのためベンチャーを興し続ける学生のレベルには非常に敏感である。エンタープライズを応援し期待する人々は、すでにこのスタッフを如何にして自分の会社に引っ張り込むかに狂奔しているだろう。ちなみにNASAがイーグル号をロシアと共同で製作せざるを得なかったのも、学生が独自にチームを作り、企業がこちらに協賛金を出してしまったからだ。

「七番、チームはみんなギャンブル好き。わざと七番目にエントリーしたという南アメリカ連合のラッキーセブン号。」
ブラジルを中心に驚異的な速さで経済大国にのし上がってきた南アメリカ諸国は、このレースに自分たちの宇宙技術の検証をかけてきた。宇宙進出が遅れているこの地域は、自分たちの技術への確かな手応えが欲しかったのだろう。とはいえ、未知数の宇宙空間で大きな冒険をする勇気はさすがになかったらしく、船はオーソドックスな丸い帆を持つタイプだった。

「八番、中国から参加、超速轟天号。」
現在世界第一位の経済大国は、その威信の全てをこの艇に託していた。また前回までのルナカップでの三回の優勝経験から、船の方にも相当の新技術を投入してきたようだ。ヨーロッパ共和国連邦のニンジャマスターに似て、推進用の丸い帆とかなり小さいが方向転換用の四角い帆の両方を装備している。とはいえ、この四角い帆はあくまでも緊急時用のものであり、普段は推進用の帆を操って方向転換を行うように設計されている。これは現在建設中のスペースコロニーの太陽光反射ミラーと同様に、小さい帆を組み合わせて円形にし、それぞれの小さい帆が太陽光に対して少しずつ角度を変えるようになっているのである。唯一問題があるとすれば、果たしてここまで複雑なシステムがキチンと機能するのかどうかである。

「クラークゆかりの地からの参加です。九番、イギリス・インド・スリランカ連合チームはスパイダーネット型のラーマ号。」
中心ユニットから放射状に伸びた八本の長い制御棒に、直径の違う同心円状の帆を何重にも張り付けた姿は、もろに「蜘蛛の巣」そのものの形をしていた。クラークの出身国であるイギリスは、ヨーロッパ共和国連邦の一員としてではなく、中国に次ぐ大国で、かつての植民地であるインド、そしてスリランカと組むことにした。何とかクラークゆかりの国だけでチームを作り、この第一回大会だけでも優勝したい、そう思う人々がたくさんいたということだ。ちなみに「ラーマ」とはインド神話に出てくる王の名であり、クラークの小説「宇宙のランデブー」で出てくる宇宙船の名前でもあった。

「十番は国籍不明、正体不明。謎だらけの大富豪ブラック伯爵操るゼロゼロマシン号。」
出身国すら分からない人物である。いつ、どうやって貯めたのか、独自の宇宙ステーションを持つほどの富豪で、いくつものベンチャー企業に出資し、ステーションの設備もレンタルしている事が知られている。もしその研究の中から有望な新物質が発見されると、伯爵にはパテントの十パーセントが自動的に入るようになっていることもあり、彼の資産は止まるところを知らないのか、どんどん増え続けているらしい。
この艇も彼の出資しているベンチャー企業が開発した新技術を積んでいるらしく、自らそのテストパイロットを買って出たらしい。見た目はただの四菱型にしか見えないが。

 無線にコールが入った。ヒカリはコールの相手を確認すると、ヘッドセットから艇を統括するコンピューターに、先ほど閉じたサブウィンドウを開き、相手を出すように指示を出した。相手の男、ヨーロッパ連合チームのパイロット、金色の髪を長くのばしたフランス人のジョルジュ・ルイが画面に現れるのを確認してから、ヒカリは話しかけた。
「あら、ジョルジュじゃないの。何か用?」
「いや何、後輩が緊張のあまりヘマをやらかしてるんじゃないかと心配でね。ちょっくら様子見だよ。」
「それはどうも。それにしてもニンジャマスターですって?あなたらしい趣味丸出しの名前ね、ジョルジュ。」
ジョルジュは青い瞳を細め、少し不快感を表して反論した。
「うるさいよ、ヒカリ。そっちこそルナ・エクスプレスなんてダサい名前付けてるじゃないか。ヒカリは典型的な日本人だなぁ。なんでこう日本人ってのはセンスがないのかねぇ・・・」
これにはヒカリもムッとしたようだ。日本人のセンスの無さは世界共通の認識となっており、一般的には「ジョークの分からない国」とまで言われている。「彼(または彼女)は日本的な人だ」と言われる人がいれば、その人は「ジョークのセンスがない人」という意味だ。もちろん日本人の全てがジョークが分からないわけではない。そういう場合には「君は日本人らしくないね」と言われたりもするのだ。
「いいのよ!センスの良い方がレースに勝つ訳じゃないんだから!」
「そうかいそうかい。しかしまあ、ヤポン・コリア連合チームのパイロットはてっきりキョーシローだと思ってたんだがなぁ。大体女は家を守るってのが日本女性の美徳だろうが。」
ジョルジュは男女同権主義者が聞いたら、たっぷり三時間は説教されるであろう不遜な言葉を吐いた。こういう男尊女卑思想を持っていること自体、今時珍しい事ではあるが。
「あら、そんな化石のような話をいつまでするつもり?大体男性に比べると小柄な女性の方が宇宙飛行士にも向いてるのよ。キョーシローとも十二点しか差はないんですからね。体重の軽い私の方がレースには有利って訳。」
ちなみにこの試験というのは筆記・実技の両方があり、合計で千点満点である。
「はっ!そのころの俺の成績とは三十点も差があるぜ。」
彼らは皆同じ「国際宇宙飛行士学校」の生徒である。当然普段から接する機会が多い分、仲間意識のようなものもあるし、逆に気に入らなければとことんいがみ合ったりもする。相手の成績も筒抜けである。もちろんレースのパイロットとして競うわけだから、普段仲の良い者同士でもケンカみたいにはなるが。
「それに体重が軽いだって?奴と二、三キロしか違わないくせに。」
「誰が二、三キロよ!十五キロよ!十五キロ・・・」
勢いよく否定して、ついでに数値の修正をしたものの、それが絶対にやってはいけない間違いだった事に気づいて、ヒカリの言葉は後半消え気味になった。その言葉を聞いたジョルジュはニヤリと笑って言った。
「なるほど。ヒカリの体重は四十七キロか。ありがとよ!これでルナ・エクスプレスの性能はばっちり分かったよ。じゃあ次はスリーサイズなど・・・。」
「いい加減にしなさい!」
「はっはっは、冗談冗談。怒った顔もステキだよ。じゃあな、かわいい子猫ちゃん!」
ジョルジュは通信を切った。後には割り込みを解かれたモニター上に、艇外カメラが捉えた周辺の様子が映し出されているだけとなった。怒りをぶつける相手が姿を消してしまったため、どこにも八つ当たりが出来なくなってしまったヒカリは、操縦席の上で激しく歯ぎしりをしていた。なにか物を渡すとおそらく完膚無きまでにぶちこわしそうな感じさえした。
「ううううう・・・ぐぐぐ・・・ジョルジュの奴ぅぅぅ。」
そこで彼女の顔から怒りが消え、不安な表情が覗いた。
「でもしまったな~。重量のことは秘密だって、あれほど念を押されてたのに~。ジョルジュの奴、だてに年は食ってないわね。覚えてなさい!」
三つしか年齢が違わないのは置いておくことにして、ヒカリは彼を年寄り扱いすると同時に、後で仕返しする事をかたく心に誓った。

 その頃、これらの無線を傍受し、せっせとコンピューターの中に情報を蓄えている男がいた。国籍不明の大富豪として知られているブラック伯爵である。当年とって四十二歳(自称)、逆三角形の顔、伸びた鼻下と、端がカールした髭。髪はオールバックにまとめ上げ、片眼鏡をかけている。非常に怪しい外見をしているが、ちなみに本当に伯爵号を持っているのかすらも怪しい。何しろ素性が全く分からないのだ。「偽名を使っている」という噂もある。ただ一つ分かっているのは、個人資産が百億ユーロを超えているという事だけだった。
「いっひっひっひ。なるほどなるほど、ヒカリちゃんの体重は四十七キログラムか。これでルナ・エクスプレス号のデータも完璧になったわけだ。それでは優勝するのはこの我が輩、ブラック伯爵。みんなせいぜいお互いに潰しあってちょうだい。いーひっひっひ。」
スーツの胸に付けたバラの花をもてあそびながら、ほとんど中世の魔女と区別のつかないような声を上げて笑う伯爵だった。

駆け引き

 スタート時刻が迫ってきていた。地球上でもカウントダウンの数字が遂に六十秒を切り、地球上の大都市では、場所によっては夜も遅くなってきているというのに、街頭にあるテレビの前で大勢の人々がカウントダウンの数字を叫んでいた。これから二週間に及ぶレースをずっと見続けるわけにもいかない一般の人々は、スタートとゴールだけは見逃すまいと、待ちかまえているのだ。そして遂にカウントの文字の色が赤に変化した。
「十秒前、六、五、四、三、二、一、スタート!」
同時にクラッカーが打ちならされ、車のクラクションが昼の街、夜の街に鳴り響いた。テレビからアナウンサーの声が実況中継を始める。
「今スタートしました。ゆっくりではありますが、各艇が加速を開始しております。」
実際には軌道スピードで航行し続けていたため、スピード自体はそんなに遅くはない。問題はここからの加速がどの程度できるかで、この加速度の違いが二週間の間に少しずつ溜まっていき、勝敗を大きく左右する結果となるのである。
「さあ、ここでこれからの予想軌道を皆さんと見てみましょう。まずは現在のスタート地点がここ。そしてここを起点として・・・」
テレビ上で月を表す白い球が地球を表す青い球の周りを公転している。その青い球の周囲を黄色や緑といったカラフルなラインがと取り囲んでいる。いや、だんだん膨らんでいって、その膨らみの先に月の白い球が接近しつつあった。
「そして最終的には月への軌道へと移行するわけです。おそらくここは三十周目あたりになると思われます。」
何十にも取り囲んだ線は地球の周りを何周しているかははっきりとしないが、おそらく三十周くらいしているのであろう。コンピューターのシミュレーションでは二十四周で月軌道到着と記されていた。もっともこれは理想的な軌道と操船を行った場合の数字であり、互いに妨害をし合うであろうこのレースがコンピューターのシミュレーション通りに物事が推移するはずがないのは、誰の目にも明らかであった。

 レース十周目。各艇の加速能力の違いから、ようやく差が現れ始めていた。ここまでは互いに妨害工作を行う艇はなかった。というか、差があまりなかったために、下手に妨害をするとそのとばっちりを受ける可能性があったためである。もちろんそろそろ余裕がでてきたこともあり、何らかの妨害工作を始めようと考え始めた者達もいた。ゼロゼロマシン号を操るブラック伯爵もその一人だった。
「うーむ、現在第九位か。以外とほかの連中の加速性能はいいようだなぁ・・・さて、ではそろそろ始めるかな?妨害作戦第一弾!名付けて『人工日食作戦』!」
とりあえず独り言的に大声で宣言してから、周りに誰も見ていないのに気がつき、ちょっと照れてわざとらしく「コホン」と一つ咳をした。
「まず、我が輩のゼロゼロマシンが他の艇と太陽の間に割り込む。てーとー、他の艇には光が当たらなくなる。てーとー奴らはスピードががた落ち。その間に我が輩はスピードをあげて、連中を振り切る、てなわけ。いっひっひっひ、完璧な作戦だ。」
どうも彼は独り言を言わないと気が済まない質らしい。誰もいない空間を相手に作戦を説明していた。
彼はゼロゼロマシンの操船コンピューターに針路の微調整を命じ、太陽と他の艇の間にゼロゼロマシン号を割り込ませた。前方を行く艇の帆に、少しずつ影が落ち始める。
最初に気がついたのは二つ前、つまり七位の超速轟天号だった。パイロットはあわてて針路を変更しようとしたが、すでに遅く、自慢の最新装備を以てしても回避が不可能となっていた。そればかりか、最後の瞬間でとっさにかけた方向修正が災いし、艇の加速は停止したのみならず、理想的なコースからもわずかに外れ、この後コース復帰のため大きな時間のロスを引き起こしてしまった。
続いてゼロゼロマシン号は立て続けに、軌道要素から仕掛けやすい別の四艇にも同様の作戦を仕掛けた。唯一逃れることができたのは操船性を重視したニンジャマスター号だけで、他の三艇はわずかに遅れ始めることとなった。各艇のパイロット達は異口同音で、
「くそっ!スピードが上がらない!」
という内容の言葉を発した後、ボキャブラリーに登録されているものの中から「口汚い」部類に入る罵詈雑言をいくつか吐き散らし、またはそれぞれが信じる神を罵倒したりした。
「あっ、やばい、人工日食作戦だわ。」
ゼロゼロマシン号はさらに四位を行くルナ・エクスプレス号にも同様の作戦を仕掛けた。だが既に四艇が餌食になっていることもあり、その奇襲効果が薄れている分だけ作戦の効果も少なくなってしまった。ルナ・エクスプレス号は何とかブラック伯爵の作戦をギリギリでかわすことが出来たのであった。
「あっぶな~、もうちょっとで引っかかるところだったわ。各艇の予想軌道まで計算してこちらの動きを決めないとダメね。」
彼女はこれが研修や通常のフライトではなく「妨害可能なサバイバル・レース」であることを改めて認識した。
同様に艇の機動性の良さから人工日食の手から逃れていたニンジャマスター号の中でジョルジュは考えていた。
「危ないところだった。ゼロゼロマシンか、なかなかやるな。こちらもいずれは仕掛けにゃならんが・・・」
彼は自艇に与えられたいくつかの機能をどの段階で使おうかと考えていたが、それらの機能を使わない妨害の手もあることを今更ながらにして思いつき、自分も試してみる価値はありそうだと、感じていた。
「どうせあれは一回きりしか使えないからなぁ・・・あの日食作戦はかなり有効だぞ。まさに機動性を重視したこの艇のためにあるような作戦だ。」
同じ頃、四艇を犠牲者とすることに成功したブラック伯爵は取りあえずの成果に満足していた。
「いっひっひっひ、成功成功。これで我が輩は第五位か。あと四つだな。いーひっひっひっひ。」
と、そこで不意にまじめな顔に戻って今回の反省を行い始めた。
「ルナ・エクスプレス号に逃げられたのは、まあ仕方あるまい。恐るべきはニンジャマスター号。あれほどの機動性を持っているとなるとやっかいだな・・・」
彼はこの作戦の成否が機動性の差で決まることを熟知していたため、おそらくジョルジュが同様の作戦を展開するであろう事を予期していた。
「ふむ、あとあとやっかいなのはニンジャマスター号と超速轟天号かもしれんなぁ・・・」
先ほど不意をついて作戦の餌食にした中国チームの艇を頭に思い描き、胸につけられたバラの花をいじりながら、彼はそうひとりごちた。

 十四周目を迎えたとき、遂にルナ・エクスプレス号がトップにたった。本来加速性能を重視している上、パイロットの体重も最も軽いのだから当たり前なのだが、様々な妨害工作のおかげでここまでかかってしまったのだ。だが今や、彼女はこの有利を利用し、一気に二位以下を引き離しにかかるつもりだった。
今後の軌道を検討しているときに、その通信は入った。何事かと発信元をサブウィンドウ表示するよう指示すると、日本・韓国のテレビ局からの共同インタビューの申し込みだった。慌てて手元に手鏡を取り寄せ、髪や化粧に特に問題のないことを確認した後、彼女はインタビューに応じるために双方向通信用のウィンドウを開いた。
「こんにちは、ヒカリ・カワモトさん。」
三十代にのったばかりであろうか。少し顔に出始めた小皺を化粧で巧みに隠している女性キャスターが呼びかけてきた。ヒカリはそれが有名な国営放送のキャスターであることと、彼女が担当する番組のタイトルを思い出しながら、返事をした。
「あ、どうも、こんにちは。」
「まずは首位奪取、おめでとうございます。」
「ありがとうございます。ようやく首位に立つことが出来ました。」
「唯一の女性パイロットですが、男性パイロット達に混じって戦うのはしんどくありませんか?」
きたわね、とヒカリは思った。地球軌道への打ち上げ前にも同様のインタビューを受けてはいたが、その時はあんまり注目されていなかった。周囲の目も
「あんな小娘に任せて大丈夫なのか?」
という目がほとんどで、いつか見返してやろうと思っていたのだ。それほどまで女性は信頼されていないのか、と。
「ええ、別に相手の顔を見ながらではありませんし、小柄な分、体重も軽く、レース上は大変有利に感じています。ルナ・エクスプレスも調子が良いですし、負ける気がしません。」
「ズバリ、優勝できそうですか?」
「このままいけば。頑張ります。」
「ありがとうございます。またコールすると思いますので、よろしくお願いします。」
「ありがとうございます。」
通信が終わった。ふぅ、と一息入れる。
「今ので上手くいったのかしら?男女平等思想の運動家達を積極的に応援する気はないけど、ちょっとぐらいは役に立てたかしら。」
彼女は運動家達の過激な思想を嫌ってはいたが、別に男の方が優れているとも思っていない。男の方が向いている仕事もあるし、女の方が向いている仕事もある。要は適材適所なのだ。問題なのは世の中はまだまだ男性優位な社会であり、男女の機会均等化を目指す運動も、「不適材不適所」になりそうな職場にまで、女性を進出させようとしている点だった。
そんなことを考えているところへ、コールが入った。相手をサブウィンドウで確認すると、ジョルジュからだった。
「ヘイ、ヒカリ。テレビ見たぞ。」
彼からの第一声はこれだった。
「ああ、ジョルジュ。なあに、祝福してくれるのかしら?」
「まあ、一応はな。そのうち俺が奪い取ることになるトップの座だが、取りあえずは後輩に貸しておくよ。」
彼は笑いながらそういった。まだまだ一波乱も二波乱もあるぞ、と言いたいようだ。
「あら、ありがとう、優しいのね。」
「う~ん、かわいい後輩のためならね。」
ヒカリはげっそりとした。
(何でこの男はこう軽薄なんだろう。キョーシローも軽薄なところはあるけど、ここまではひどくないわ。)
そんな彼女の想いを見てさとったのか、ジョルジュはさらに言葉を継いだ。
「正確には、『ヒカリのためなら』って方がいいかなぁ。どう?レースが終わったらデートでも。」
「あら、余裕なのね。そうねぇ・・・私に勝てたらデートしてあげてもいいかなぁ。」
それを聴いたジョルジュの顔つきが変わった。
「よし!今の言葉聴いたぞ。俺が優勝したらデートしてもらうからな。」
「ええ、いいわよ。もっとも、ここからルナ・エクスプレス号は本来の加速性能を活かして、一気に後続を引き離しにかかりますけどね。ついてこれるかしら?」
「ふっふっふ、心配ご無用。ヒカリとのデートのためならこのジョルジュ・ルイ、ニンジャマスター号の性能を使って、一気にトップへとたって見せよう。」
彼は不敵に笑うと、こう言い放った。どうもよほどの装備が搭載されているのか、自分の優勝を全く疑っていないようだった。
「そう、じゃあ、せいぜい頑張ってね。」
ヒカリは通信を切った。

 次の周回に入り、レースは再び大きく動き出した。熾烈な六位争いを続け、お互いに太陽からの光を奪い合っていたクローバー号とラッキー・セブン号が、ニアミス軌道にはいったまま、地球の夜の部分に入ってしまったのだ。夜の部分に入る直前までお互いを牽制し続けたため、安全な軌道を確保することが出来なかった両艇は、夜の部分でお互いの距離をどんどん縮めつつあった。
この様子は当然の事ながら、両艇をバックアップする地上チームや主催者、はたまた報道関係者に知れ、昼の部分にたどり着くまでの三十分間の動きがあわただしく計算された。
「さあ、すでに十五周目。ですがちょっとやばいか、クローバー号とラッキー・セブン号。このままだと衝突してしまいそうです。衝突してしまいますと、帆が破れてしまいますので、そこでリタイアとなります。両艇ともそれは避けたいが、いかんせん太陽の光が当たらないことには方向転換も出来ません。」
一部の番組ではニュース速報として流されたこの放送に、おおかたの人は「大変なことがおこっているらしい」と思い、あわてて中継専門チャンネルに切り替えた。街頭の大型スクリーンも、そのほとんどがこれから起こるかも知れない事故の様子を多くの人に伝えようと、流していたドラマを始めとする娯楽番組を中継専門チャンネルに切り替えた。テレビでは解説者がこのような事態になった経緯をCGを使って解説していたが、そうこうしているうち、アナウンサー専用の端末に新たな情報が入ったらしく、彼女は端末の文字を凝視した。
「えー、今報告が入りました。主催者側から両艇へ向けてレースを中断した方が良いのではないか、という申し入れが行われていましたが、両艇のパイロット、及びチームを率いる監督も救援とそれに伴う棄権宣言を拒否しました。あくまでもレースを続行するようです。両艇とも太陽の光が当たると同時に針路変更を行い、衝突を避けようというのでしょう。」
その内容をサブウィンドウに開いたテレビ放送から知ったヒカリは、ルナ・エクスプレス号のコンピューターを駆使して、本当に衝突回避が可能なのかを計算していた。今後、同様のことがルナ・エクスプレス号に起こらないとも限らないため、そうなった場合の対処法を考えるのも兼ねさせようというのだ。とはいえ、結果は芳しくないものだった。
「両艇は八十五パーセントの確率で衝突するわね。あとは互いに針路を譲り合う気があるかどうかが分かれ目か。」
その頃、同様の結果をニンジャマスター号の中で、ジョルジュも得ていた。
「このニンジャマスターや超速轟天号、ゼロゼロマシン号ならともかく、あの二艇が避けられるか見物だな。」
両艇ともゼロゼロマシン号による日食攻撃を避けることの出来なかった艇である。それほどの機動性は最初から期待できず、彼にとって、両艇の衝突は最早疑いようのない事実だった。
そして太陽の光が当たるポイントがやってきた。両艇とも太陽の光を最大限に受けて、相手との衝突を回避すべく針路修正を行ったが、もとより自分だけが不利になる修正を行うことは考えていない。そのため変更自体が多少甘めに行われたとしても、どうしてそれを責めることが出来よう。両艇はゆっくりと、お互いの帆を突き破りつつあった。
「ああーっと、結局衝突を回避できませんでした。帆が破れてしまいました。両艇ともリタイアです。」
中継を行っていたアナウンサーの声にも思わず力が入る。レース史上初めての事故であり、かつ初めてのリタイアであった。
事故を起こし、クラッシュした二艇は、レースの規定通り、用のなくなった帆を切り離し、生活空間だけを確保して漂流を始めた。あと十時間もすれば救援がやってくる。それまでの間、テレビでも見ながら救援を待つ長く退屈な時が続くのだ。もっとも、チームの監督や出資した国家や団体からのクレームなどにも対応する必要があるだろうから、そんなに暇でもないかも知れないが・・・。

 レースは既に終盤の二十三周目に入っていた。これまで互いに太陽からの光を奪い合う日食作戦を展開し続けてきたが、すでにそれも効力を失いつつあった。よほどの隙をつかない限り”風上”に立つことが出来なくなったのだ。その事を深刻に受け止めている人物がいた。ブラック伯爵その人である。彼のゼロゼロマシン号は一旦五位にまで浮上したものの、後ろから超速轟天号の追い上げを受け、第六位に後退していた。
「うむむむむ、どいつもこいつもなかなかしぶといなぁ。なかなか減らないではないか。しかもさっき追い抜いた奴らも少しずつ追い上げてきておるし、超速轟天号に至っては、我が輩のゼロゼロマシン号を追い抜いていきおった。仕方あるまい、そろそろ次の妨害作戦を展開するとするか!」
彼はゼロゼロマシン号に取り付けられた”発射管”の様子を確認し、それが「準備よし」なのを確認すると、ニヤリと笑って自らの勝利を確信した。
「見ておれ、次に昼が訪れたときに、貴様らは終わるのだ。いーっひっひっひ。さて、下準備としてフェイントをかけておくかな。」
そういうと彼は、他の艇を都合の良い軌道に動かすために、ゼロゼロマシン号の針路を変更した。
「くらえ、おとりの人工日食作戦!」
当然の事ながら他の艇もすでにゼロゼロマシン号の動きは読んでいる。今更この作戦を何度展開しようとも、影響のない軌道にすぐ遷移できるのだ。
「同じ手には何度も引っかからないわよ。」
「右に同じ!」
「やはり同じ手には引っかからんか・・・が、そろそろ夜になるな。ここまでは上手くいった、と自画自賛すべきだな。」
彼はこうひとりごちたが、このフェイントが一艇にだけ功を奏した。五位をいっていた超速轟天号がもろにこの作戦に引っかかった。あれだけ機動性の高い艇が何故?と不審に思い、中継を聴いてみると、どうやら帆の複雑な構造が災いしたらしく、何度も昼と夜とを繰り返しているうち、帆の制御部分が熱膨張で異常を来し、操作が不能になったらしい。やむなくクルーは帆を切り離し、リタイアを宣言した。
「ほぉ、リタイアか。ついていたな。よし、ではこの幸運の勢いに乗って、妨害作戦第二弾!『宇宙ゴミ作戦』!」
やはり癖なのだろう、伯爵は大声で次の作戦の説明を誰にともなく始めた。
「今度は奴らの帆をわざと破いてやろうという作戦だ。まず、我が輩のゼロゼロマシン号が先のとがった宇宙ゴミ、つまりデブリだな、を打ち出す。それが奴らの帆に当たる。てーとー、奴らの帆に穴があく。てーとー、昼になった途端太陽からの光の量に耐えきれず、そこからあれよあれよという間に破れてしまうのだよ。これで奴らはリタイア、いーひっひっひ。」
コンピューターが一応警告を発した。大会規定をディスプレイに表示する。それを見た伯爵は一瞬憮然とした表情を見せたが、すぐにこう切り返した。
「え、何?それは反則じゃないかって?いいんだよ、ばれなきゃ!そのために夜の部分で打ち出すんだから。」
どうやら夜陰にまぎれて打ち出すつもりらしい。そう、そのために最も良い軌道と相対位置は先ほどのフェイントとして使った日食作戦で得ている。後は実行に移すだけなのだ。
「まずは一つ目。三位のエンタープライズ号に向けて発射!次に先頭のルナ・エクスプレス号に向けて発射!そして三つ目はしつこく追い上げてくるコメット号に向けて、はぁっしゃ!!」
ゼロゼロマシン号は四本ある発射管のうちの三つからデブリを打ち出した。とはいえ圧縮空気を使って打ち出しただけなので、相対速度自体はそんなに大きくはない。むしろ大きな相対速度を持たせてしまうと不審に思われてしまうので、相対速度は小さく、しかもデブリ自体に一回きりの方向転換が可能なだけの空気を持たせ、衝突寸前には軌道要素を変化させて発射元がゼロゼロマシン号であるとは分からなくする、というおまけつきである。
「これで仕掛けはよしと。あとは光が当たれば自動的にばーらばら。これで前二艇と後一艇がリタイアするはずだから、我が輩は三位!」
三位を行っていたエンタープライズ号のパイロットは、昼の部分に入る準備をしているときに、一度ならず軽い衝撃を受けた。どこかに何かがぶつかったらしいことに気がついて、彼の顔は青ざめた。
(もしかして空気が漏れていたら)
というのが大きな懸念だったのだが、取りあえずそれはないようである。続いて操船系に異常が生じていないかどうかを調べたときに、顔をしかめた。どうやら八系統ある操船系のうち一系統に異常が見つかった。この程度なら予想の範囲内なので特に問題はないのだが、それでも彼の不安は完全には解消されなかった。艇外カメラで帆の様子をチェックしてみるが、夜の部分であるため光がなく、どうも要領を得ない。
(最悪はリタイアだな・・・)
残念ながら彼の予想は大あたりした。
「さあ、これから二十四周目に・・・おっと、ここで三位を行っていたエンタープライズ号の帆が破れてしまった!一体何があったのでしょうか、リタイアです。」
ブラック伯爵が打ち出したデブリは衝突直前に内部に詰め込まれていた破片を散弾よろしく打ち出し、エンタープライズ号の一操船系を破壊しただけではなく、その帆をズタズタに切り裂いていた。パイロットは艇が変なスピンを始めないうちにあわてて帆を切り離した。これで彼はリタイアすることになったが、デブリの直撃を受けたのであれば彼を非難する者はいないであろう事は、簡単に予想できた。
エンタープライズ号が切り離した帆は後に続いていたニンジャマスター号とゼロゼロマシン号の針路を妨害する形になったが、機動性に優れた両艇は難なくこれをかわした。だが、これで悲劇は終わりではなかった。アナウンサーが事故の実況を続ける間に、次の事故は起きた。
「続いてやってきていたニンジャマスター号とゼロゼロマシン号は何とか衝突を免れました。ああーっと、しかし、ここで六位のコメット号にも同様のトラブルが起きました!どうやらデブリが当たったようです。その後に迫るイーグル号はよけられるのか?」
イーグル号はあわてて針路を変更し、何とか衝突自体は避けることに成功した。が、本来の理想的な軌道からは大きく外れてしまっており、最早優勝争いなどというものから脱落したことは誰の目にも明らかだった。
これで優勝争いは残る四艇に絞られたのだが、その中で一人だけこの事故に関して疑問を抱かずにはいられない人物がいた。先頭を行くルナ・エクスプレス号のヒカリである。彼女はこのような事故の起こる可能性を検討していたが、そのあまりの低さに疑問を抱いたのである。
「いくらなんでもおかしいわ。昔に比べれば軌道上の掃除が進んでいるとはいえ、確かにまだデブリは残ってるわ。でも、同時に二艇?」
ヒカリは思わず、ジョルジュにコールした。ジョルジュは
「何だ?」
という顔をして通信に現れた。もちろん
「かわいい子猫ちゃんから云々」
という余分な科白も口から発したが、それを無視してヒカリは自分の抱いた疑問を彼に投げかけた。
「おかしいと思わない?この周回で二隻もデブリの直撃を受けるなんて・・・」
対するジョルジュの方はあんまり不思議には思っていないのか、ひょいと首をすくめてこともなげに言い返した。
「たまたまロケットの破片がたくさんうろついてたんだろ。」
ジョルジュの説明にも何となく釈然としない彼女は
「まあ、そうかもしれないけど・・・」
と一言だけつぶやいて、あとは他愛もない会話を交わして通信を切った。切ってからも釈然としない顔でつぶやいた。
「まあ、確かにそうかもしれないけど・・・」
同時刻、ゼロゼロマシン号の中でブラック伯爵は作戦の成果に満足していた。
「いーひっひっひっひ。よしよし。でも何で先頭のルナ・エクスプレス号は平気なんだ?もしかして外れたかな?距離もあったしな・・・まあいい、まだ先は長いからな。」
何よりも、もう一発残している事だし、と彼は思っていた。いざとなればもう一度やればよいだけなのだから、と。

 「さあ、そろそろ地球の周回軌道を離脱し、月へのコースに乗り変える頃です。現在のトップはルナ・エクスプレス号、二位がニンジャマスター号、三位ゼロゼロマシン号、先ほどまで二位を保っていたラーマ号は操船ミスから現在第四位。だいぶん離れてイーグル号。」
加速性能で上回るルナ・エクスプレスは、二位のニンジャマスターに百キロメートルもの大差をつけていた。このままなら確実に真っ先にゴールを切れるはずなのだが、ヒカリはそうはならないであろう事を漠然と感じていた。あのジョルジュの自信たっぷりな姿を見ていると、もう一波乱はありそうな感じがしてくるのだ。そしてその予感はあと一、二周で月への直線コースに乗ろうかという時にやってきた。
ルナ・エクスプレス号の艇内に、通信の着信を告げる合成音が響いた。何事かと通信ウィンドウを開いてみると、まじめな顔をしたジョルジュが映し出された。
「悪いな、ヒカリ。かわいい後輩相手には使いたくなかったが、これも勝負なんだ。」
「な、何よジョルジュ。」
ヒカリはいやな予感がした。あのジョルジュが無駄話を全部はしょって、こんなにまじめに話をするなんて・・・
ジョルジュの方はちらちらと何かを見ながらヒカリに向かって話し続けていた。
「しかし、ルナ・エクスプレスがここまでやるとは思わなかった。この技も本来はこのタイミングで使う技じゃあないんだが、これ以上差を開けられると効力がなくなっちまうんでな。」
「一体何をやらかすつもりよ。言っときますけどもう私の光を奪うことは出来ないわよ。」
ジョルジュは「わかってるよ」と短くつぶやいた後、意を決したかのように、決然とヒカリに言い放った。
「よし、そろそろやるぞ!受けてみろヒカリ!」
ジョルジュからの宣言を受けると同時に、ヒカリは慌ててディスプレイにニンジャマスター号の位置と軌道を出す。これから丁度”順風”になるので、帆を張り加速を始める位置だが、彼の艇は少し軌道が外に膨らんでいる以外は何ら新たな動きがない。いや、あった。ニンジャマスター号のエネルギー反応が急上昇しているのだ。何事か、と映像を出す。
「ん?ニンジャマスター号が・・・まさか人工日食作戦?いえ、違う・・・・・なに?彼の船が光り始めた?!」
今やニンジャマスター号は正視できないほど明るく輝いていた。これはつまり彼の艇からルナ・エクスプレス号に向かって大量の光がやってきている事を意味する。と同時にルナ・エクスプレス号は本来あり得ない方向からの加速を受けて、軌道がどんどん外に膨らんでいく。そして艇内にジョルジュの勝ち誇った声が流れた。
「必殺『光線集約の術』!」
「な、何?!針路が勝手に変わっていく!艇の制御が利かない!」
一方のヒカリはそんな技の名前を冷静に聞いていられる状況ではなかった。
「ふっふっふ、虫眼鏡の原理の応用さ。俺たちの艇は太陽からの光を受けて進む。だが、もっと強烈な光を他の方向から浴びせれば、たやすく針路は変わってしまう。ニンジャマスター号の帆は今レンズの役目を果たし、ルナ・エクスプレス号に大量の光を浴びせ、針路をねじ曲げているのさ。あばよヒカリ!」

ヒカリの選択

 ヒカリはルナ・エクスプレス号の中で次々入ってくる情報と格闘していた。入ってくる情報は全て、ルナ・エクスプレス号が理想の軌道から外れ、月軌道にたどり着いたとしても月の裏側を撮影できるようなポイントには達しないことを告げていた。たどり着く場所は二日前に月があった場所になる、というものだったのだ。
「くそぅ、ジョルジュのやつ、あんな技を隠してたのね。あっブラック伯爵にまで抜かれてしまった。早くコースに戻らないと・・・でも今から戻っても追いつけるかどうか・・・」
ヒカリは歯ぎしりした。しかしそうしている間にもルナ・エクスプレス号の針路は当初のコースからどんどん外れていく。月へ向かう軌道には到底乗れそうになかった。もし復帰したとしてもそれまでに一千キロメートルもの差を開けられてしまうに違いない。
「もう優勝は目の前だったのに・・・キョーシローになんて言おう・・・」
不意にそんなことも考えた。出発の時には仲間にも大見得を切ったのではなかったか。
『頑張れよ』
『絶対優勝だぞ』
『こわすなよ』
『どじって地球に落ちるなよ!』
そう言われた事を思い出しながら、思った。
(あーあ、こうなったらもうどうしようもないわね・・・優勝なんて夢のまた夢だわ・・・)
が、半分あきらめかけたその時、ヒカリの頭にあるアイデアが閃いた。
「地球に落ちるな・・・・か。ん?待てよ、そうか!」
慌てて軌道をシミュレートし、結果を片端からディスプレイ上に表示していく。
「今の場所と進行方向がこうだから・・・もしここでこういう針路を取れば・・・地球の大気圏ギリギリをかすめれば、一気に追いつくことができるわ。でも艇がもつかしら・・・?」
より安全な方法はないのかしら・・・そう思った彼女はさらにいくつかの軌道を表示してみる。ディスプレイ上には既に十以上の予想軌道が表示されていた。
「いえ、やっぱりこれしかないわね。しかも地球の重力と角運動量をうまく使えば、一気にトップに立てるわ。いちかばちか、やってみよう!みんな、壊れたらゴメンネ!」
ヒカリは操船コンピューターに次々と細かい指令を出した。ここからの操船は人間がマニュアルで行える範囲を超えているため、全てをコンピューター任せにせざるを得ない。パイロットとはどういう時にでも自分で操縦をしないと気が済まない人種だが、専門学校ではそれが災いになる事を叩き込まれた。
「まず艇をかみのけ座の方向に向かって動かして・・・ちょっとしたらわし座方向に向ける・・・と。」
シミュレート結果から進行方向に見えるはずの星座を確認し、キチンと艇が予定方向に進んでいるかどうか確認するための指標を確認した後、ヒカリは目を閉じた。方向転換にはまだ時間があるし、地球の大気圏をかすめるにはまだ四時間ほどの時間がある。とりあえずは食事と睡眠をとろう、と心に決め、美容のことを考えてまず先に眠ることにした。とりあえず軌道計算のために頭を使いすぎたのか、少し頭痛もしたし、目もショボショボしていた。
四時間後、目を覚ましたヒカリの目の前に、スタート時よりも遙かに大きく地球の青い海が見えていた。
(見えているのは大西洋か。)
そう思いながら時計を見てみると、あと四十分ほどで地球に再接近する事が分かった。彼女は手軽に済ませられるよう、宇宙食の入ったパックを破り、中に入っていたサンドイッチをほおばった。パン屑が艇内に漂わないよう、独特の練り方のされたそれは、食感からすれば最悪に近いものだったが、味と栄養だけは考慮されているようだった。それをカルシウムが増量されている牛乳で胃の中に流し込む。どうしても軌道の最終チェックをやりながらなので、食事をしているという概念や姿からはほど遠いが、まあ、一食くらいはこんな事があってもいいだろうと、ヒカリは考えていた。
あと十分で再接近という時になって、やっと全てのチェックを終えた。今のところ計算通りの軌道をルナ・エクスプレス号は進んでいる。大気圏をかすめる軌道をとるため、スピードを殺さないように帆は畳んであった。計算上は地上から高度五百キロメートルを通ることになる。問題は通り過ぎたあと帆を開くタイミングだが、それもコンピューターが上手くやってくれることを祈るだけだった。ヒカリは宇宙服のヘルメットをかぶり、何かあったときに備えた。ついでシートに体を押しつけるべく、シートベルトを締め、再接近の瞬間を待った。
「あとは地球にぶつかりさえしなければトップよ。さあ、がんばってねルナ・エクスプレス。・・・なむさん!」

 ジョルジュはルナ・エクスプレス号が地球をかすめる軌道を取ったことを知っていた。ヒカリが何を考えているのかは分からなかったが、危険だからやめさせようとコールを続けたが、全くヒカリは現れなかった。
(もしかしたら通信機能が死んでいるのか?)
考えにくいことではあったが、全く考えられないことでもなかった。それならば何らかの手を打たないと、ルナ・エクスプレス号はヒカリもろとも大気圏に飛び込んでしまい、燃え尽きてしまう可能性もある。
そう思い、彼は大会本部と連絡を取りたかったのだが、残念ながらそうも言っていられない状況になっていた。先ほどルナ・エクスプレス号に仕掛けた『光線集約の術』のため、速度が低下してしまっていたのだ。決して致命的なものではなかったのだが、後続のゼロゼロマシン号には十分だった。追い上げを見せたゼロゼロマシン号は、遂にニンジャマスター号を捉え、一気に追い抜く体制に入っていたのだ。
(何とかしないと、ゼロゼロマシンに相当の差を開けられてしまう。少しでも差を縮めておかないと、この後がマズい。)
そう考え、なるべく差の出ない軌道にニンジャマスター号を遷移させた彼は、ルナ・エクスプレス号がまもなく大気圏に突入してしまうことを知った。
「ヒカリ、ちゃんと脱出しただろうな?ま、大会本部がちゃんとやってるだろうから、心配してもしかたないんだろうけどな・・・」
勝負とはいえ、後輩に結構厳しい手を使ったことを彼は後悔し始めていた。本当にこれで良かったのだろうか、と。そして運命の最終周回がやってきた。

 地球上ではこの時間帯に中継チャンネルの視聴率がスタートに次いで高かったという。何しろ、ここで勝負の約七十パーセントが決まると考えられていたからだ。この後はただ単に各艇とも太陽からの光に押されるだけで、駆け引きをする余地がなくなってしまうため、一位で抜けてくる艇とのラップ差、そして各艇の加速性能だけで全てが決まってしまう。特にトトカルチョで自分のかけている艇が残っている人々の期待を、テレビ中継は一身に集めていた。
「半数以上の艇がすでにリタイアしていますが、さて先頭で抜けてくるのは・・・一体どの艇なのでしょうか?」
テレビ上ではCGによる各艇の現在地とスピードが刻々と記されている。
「さあ、まもなく最終チェックポイントを通過し、月への直線軌道に入ります。最初に抜け出したのは・・・・・エントリーナンバー十番、ゼロゼロマシン号です!」
ワッと歓声が起きた。同時により少ないがため息も漏れた。ジョルジュのニンジャマスター号にかけていた者達だ。だが、まだ幾分かの人たちは、ゼロゼロマシン号とのラップ差に最後の望みをかけて、かたくなに画面を見守っている。
「いま、ニンジャマスター号がチェックポイントを通過しました。トップのゼロゼロマシン号とのラップ差は九・八五秒、距離にして百キロメートル足らずです!」
この差にどれだけの者が期待を抱き、そして絶望感を抱いただろうか。期待した者は
「大した差ではない、ひっくり返せる」
と感じ、絶望した者は
「加速性能の差を考えると、逆転は不可能」
と考えた。だが実際にはこの後の解説者の説明が、ゼロゼロマシン号の優位が決定的なのを印象づけ、ニンジャマスター号にかけていた者の中には、券を破り捨てた者まで出た。
「えー現時点ではゼロゼロマシン号とニンジャマスター号の差は百キロメートルほどですが、ゼロゼロマシン号の方がわずかにスピードで上回っております。さらに加速性能ではゼロゼロマシン号の方が若干上ですから、月までの三十八万キロの間には決定的な差となって現れると考えられます。」
この放送を聴いたブラック伯爵は、うれしさのあまり、初めて他の艇との通信を行った。つまりニンジャマスター号のジョルジュに対しての勝利宣言である。
「残念だったなジョルジュ・ルイ君。『光線集約の術』のおかげでスピード不足か?いーっひっひっひ、優勝は我が輩がもらったよ。じゃあな。」
一方的な通信に半ばあきれ、半ば腹が立ったが、奴を驚かす手が残っている事を知っているジョルジュは全く慌てなかった。
「くそう、ブラック伯爵め、好き放題言いやがって。だがこっちにはまだ奥の手があるぞ。見てろ。」
そう思って最後の技を仕掛けようとしたその時、ジョルジュはレーダーが不審なものを捉えたのを見逃さなかった。そして技を仕掛けるのを一旦やめ、そのとばっちりを避けるべくニンジャマスター号の軌道をわずかに遷移させた。上手くいけば、奥の手を使わなくても何とかなりそうだった。
だが既にこの世の春を謳歌し、自らの功績をたたえるべく大音響で『ワルキューレの騎行』などをかけていたブラック伯爵はそれに全く気がつかなかった。
「よっしゃー!あとは月まで一直線に逃げ切るだけ!これで我が輩の優勝はほぼ決まったなぁ。いっひっひっひ。」
しかし、彼の余裕と勝利感はその数分後にはうち破られてしまった。突如としてレーダーが何かの接近を捉えていたのに気がついたのだ。実際にはもう何分も前から警告を発し続けていたのだが、大音響で気がつかなかったのだ。もしわずかながら静かになるこのパートがなければ、最後の最後まで気がつかないままだったろう。そして気がついたときには既に破局は目の前だった。
「あん?何じゃあれは?どこかで見たような・・・・・も、もしかして我が輩が打ち出した妨害用のデブリ?!し、しまったー、あのルナ・エクスプレス号を狙ってはずれた奴だ!こ、こら、来るな!来るんじゃない!来るなってば!!あ、あ、あ~れ~っっっっっ!」
デブリは当初のプログラミングに従い、軌道交錯したものに対して自爆し、散弾を打ち出した。散弾はゼロゼロマシン号の帆に穴を空けるだけに止まらず、制御装置をも破壊する。これにより、すでにゼロゼロマシン号はレース艇としての機能を全て喪失してしまっていた。
「ちくしょーっ!覚えてろよー・・・・・・」
絶叫する伯爵を乗せたゼロゼロマシン号を横目で追い抜きながら、ジョルジュはつぶやいた。
「ついてねぇ奴だな、デブリが当たったようだ。しかしこれで優勝は俺のものだな。」
テレビ中継もニンジャマスター号の優勝一色に染まった。それを知って天にも昇る思いになったとき、その突然のコールは入った。相手を知って慌てたジョルジュは急いで通信ウィンドウを開く。と同時に通信相手はこう宣言した。
「優勝は俺のものだと思ってたでしょうけど、そうはいかないわ!」
彼は驚愕した。艇が大気圏内に突っ込んでしまい、とうの昔にリタイアしてしまったと思いこんでいたからである。
「何?!まさかヒカリか?一体どうやって追いついたんだ?!」
慌ててレーダーを確認すると、そこにはニンジャマスター号よりも速いスピードで急接近してくるルナ・エクスプレス号の輝点が、確かに存在した。

栄光は誰の手に

 スクリーンに光るルナ・エクスプレス号に驚愕の色を隠せないジョルジュに対して、ヒカリは自分の策を披露した。
「何のことはないわ、あなたにもらった変な方向へのスピードを最大限に活用した軌道を取っただけよ。あなたは軌道変更を失敗し、ルナ・エクスプレスが大気圏内に飛び込んだと思っていたんでしょうけどね。確かに地球をかすめるときは生きた心地がしなかったけど。」
ひょいと首をすくめるジョルジュのまねをしたヒカリに対して、ようやく驚愕の色がとれたジョルジュは感心しながら言った。
「なるほど・・・まさかそんな手があるとはな・・・。」
コンピューターの計算では、今はまだ千キロメートル近い差があるものの、相対速度の差から、月軌道までには十分逆転されるであろうと予想された。何しろルナ・エクスプレス号は加速度を重視した艇なのだから。もちろんヒカリもそれを知っての上でだろう、勝ち誇っているのは。
だが、それを確認したジョルジュは不敵に笑うと、ヒカリの優越感を一蹴する事を言いだした。
「さすがだよ、ヒカリ。俺が見込んだだけのことはある。しかーし!やっぱり優勝はこの俺だ。見ろ!これが俺の奥の手だ!」
ジョルジュは「使わなくてもすむかも知れない」と思っていた奥の手を披露した。
「何?!ニンジャマスター号がっ!」
ヒカリが見ると、ディスプレイに映るニンジャマスターは、その四枚の帆と、デブリよけの装甲板をはじめとする船体の一部を切り離しつつあった。他から見ると、まるで空中分解したかのように見える。
「はっはっは、これぞ最終奥義『抜け身の術』!ここからの大幅な加速は望めないし、駆け引きも不可能だ。変なことをすれば月にたどり着けなくなっちまうからな。。だがここからの軌道にはデブリもほとんどない。なら装甲板や方向転換用の帆みたいな邪魔なものは捨てて、最低限のものだけを残して船を軽くした方が賢いだろ。軽くなれば加速度も多少は上がるしな。じゃあな、月で待ってるぜ。」
通信が切れたウィンドウを前に、ヒカリはコンピューターに相対速度と距離がどう変化していくのかをシミュレートさせた。なんと、相対距離自体はしばらくの間少しずつ縮まっていくものの、月まで三万キロを切る頃には相対速度はほぼゼロとなり、さがこれ以上縮まらないことを示していた。むしろ差が開いてしまうのだ。ヒカリはジョルジュと、ヨーロッパ共和国連邦チームの見事な戦術に感心したが、感心している場合ではないことに気づいた。
「うーん、あんな奥の手を持っていたのか。一体どうすれば・・・・・」
しばらく考えた後、結局はこちらも加速度を上げるしかないことに気づき、彼女は一つの決断を下した。
「そうだ、こちらもいらないものを出来る限り捨ててみよう!」
こうして第一回ソーラーヨットレースは、主催者や観衆が思いもつかなかった喜劇へと変化していくのである。
「ん?!ルナエクスプレスが追いついてきている?!」
最初に異常に気がついたのはジョルジュだった。定期的にルナ・エクスプレス号との差をレーダー及びドップラー・レーダーで調べていたのだが、もう既に六時間以上もドップラー・レーダーから吐き出される相対速度に変化が見られない。最初の一、二時間こそ誤差の範囲だと考えて笑っていられたのだが、ここまで変化が見えないと笑ってすまされる範囲ではなかった。このままだと月まで一万キロを切るあたりで逆転される可能性まで出てきていた。
「あいつ一体どんな手を使ったんだ?」
不審に思って光学カメラのズーム機能を使って、ルナ・エクスプレス号に生じたわずかな差がないか調べていた彼は、その後方に何か光ったものがあったような気がした。自分の目を確かめるためカメラの位置を戻し、ズームを最大にしたところ、スクリーンには少しずつではあるがルナ・エクスプレス号から遠ざかっていっている放熱パネルが映った。そこでもう一度ルナ・エクスプレス号にカメラを戻してみると、確かに八枚あったはずの放熱パネルが四枚になっている。これでは艇内は蒸し風呂になっているはずだが、おそらく宇宙服を着込んで消費電力も最低限に押さえ込んで、なんとか常温を保っているのだろう。
ジョルジュは「ヒカリの奴もなかなかやるじゃないか」と一瞬感心したが、それどころではないことに思い至った。
「なるほどヒカリの奴め、いらないものを捨て始めたのか!やばい!こちらもいらないものを捨てて、もっとスピードを上げなくては!」
こうして両艇の後ろには投棄された物が、分裂した彗星か小惑星よろしく、一列になって続くこととなった。本来なら宇宙利用のガイドラインである「国際宇宙協定」違反なのだが、ヒカリもジョルジュも一方的にではあるが大会本部に「備品を投棄する」旨を報告しているため、リタイア艇の帆の回収などを担当する船が総出で回収することになってしまった。大会本部側はこれに対する苦情を両艇に対して何度かし、何とか備品投棄をやめさせようとしたのだが、パイロットが席を外しているせいか、それともわざと無視しているかで、連絡を付けることが出来なかった。やむなしに両チームに申し入れをしたところ、
「帆の切り離し自体が国際宇宙協定に違反した行為であるのに、備品の投棄は何故いけないのか?このレースに関してだけは大会本部が責任を持つということで特例として認められていたのではないのか?」
と逆に問いつめられる始末。特に戦術として「抜け身の術」などと称する船体分離をおこなったヨーロッパ共和国連邦チームからの反論が強かったという。後に大会本部で運営を担当していた者が匿名で語ったところによると、
「大会本部としては、回収船のペイロードが一杯にならないうちに、さっさと月にたどり着いてくれるよう祈るしかなかったよ」
という状態だったらしい。
だが遂にこの喜劇的な状態も終わりを告げようとしていた。大会本部の祈りが通じたのか、両艇とも回収船のペイロードを一杯にするほどは備品を投棄できなかったのである。局面は最終段階に入っていた。
「あと一時間で月よね。ええい!これももういいわ!」
宇宙服で完全防備したヒカリはエアロックから食品を保存するのに必要だった冷蔵庫を押し出した。ここに至るまでの軌道にデブリとして残るわけで、国際宇宙法にも違反しているのも、大会本部からうるさいほど中止を求めるコールが入っているのも承知していたが、どうやら後ろをついて来る回収船がすべてを拾い上げることに気がつき、遠慮せずに捨てまくっていた。
その事はジョルジュも同様に気がついていたが、ヒカリよりも多くの物を捨てないとレースに勝てない事を悟っているジョルジュは、手をゆるめるわけにいかなかった。そもそも「抜け身の術」自体がデブリを増やす戦法なのだから、今更気にしても仕方がない、という開き直りもある。彼はヒカリが最後に捨てたものが何であるかに気がついて、思わずこう叫ばずにはいられなかった。
「あっ、あいつ、冷蔵庫まで捨てやがった。じゃあこっちは一緒にフライパンも捨ててやる!」
だんだん低次元の争いに移行しつつあったが、それでも両艇は月へ向かって少しずつ加速度を上げつつあった。だが、そんな努力にも限界がある。先に気が付いたのがどちらかは分からないが、少なくともヒカリのまわりからは冷蔵庫を最後に投棄できるものがなくなっていた。
「あとは・・・と、・・・髪の毛くらいかしら?あんまり変わらないと思うけど、優勝の願掛けぐらいにはなるかしら?四年後までにはまたのびるわよね。」
そうつぶやくと、彼女は自慢だった長い黒髪をばっさりと切り、エアロックから愛おしそうに宇宙へ放出した。古代エジプトの王妃ベレニケにならった、願掛けが成功するかどうかは、もう数十分で判明するはずだった。
地球上ではここ数日のデッドヒートの様子に多くの観衆が目を離せずにいた。何しろ何が投棄されるのかによって、両艇の加速性能が一時間単位でコロコロと変化するのである。双方を応援している者達は
「あれを捨てろ、これを捨てろ」
と大騒ぎをし、中には両チームの本部に
「何故○○を捨てさせないのか!」
と電子メールを送ったり、TV電話をかけたり、挙げ句の果てには直接押し掛けてくる者が続出した。
テレビ中継も
「ただいまの備品投棄状況」
などというコーナーが出来、「国家の威信」などという言葉からはほど遠いものとなってしまっていた。
そんな中、遂に両艇ともが月軌道に達する瞬間がやってきた。国営放送のアナウンサーは努めて冷静に中継をしようとしていたが、やはり興奮を隠せないのか、声が少し甲高くなっていた。
「えーこの数日間、ゴミをまき散らしながら続いた第一回ソーラーヨットレースですが、ついに二隻とも月の裏側に回り込み、見えなくなってしまいした。果たして、先に写真を送ってくるのはどちらなのでしょうか?」
多くの者にとって、とくに両チームのスタッフにとっては無限とも思える時間が流れた。心臓の鼓動が聞こえなくなったような、そんな気がする瞬間だった。日本・韓国チームのブースではキョーシローを始めとするスタッフが息をのんで結果の瞬間を待ち続けた。
そして大会本部に設置された端末の音が鳴った。データが着信したのだ。このデータを送った方が優勝者となる。そして受信機のトレイの上には、表側と違い、クレーターだらけの表面が映った月の裏側の写真が、ルナ・エクスプレス号を示す船籍を刻印されて吐き出された。
「来ました!優勝はルナ・エクスプレス号です!」

エンディング

 四日後、地球軌道にまで戻ってきたヒカリを出迎えたのは、報道関係者によるフラッシュと質問の嵐だった。彼女は一つ一つの質問にまじめに答えていった。
「ヒカリさん、今の気持ちを一言。」
「ええ、やっぱりうれしいです。」
「月の裏側が見えたときはどんなお気持ちでしたか?」
「ちゃんと一番に送れるかどうか、心配で仕方なかったです。」
「誰にこの勝利を送りたいですか?」
「これまで支えてくれたチームの仲間です。」
「いやぁ・・・しかしお美しいですねぇ・・・スリーサイズは?」
「えーと、上から八十四、五十九、八十八・・・・・ってジョルジュ!」
気分良く質問に答えていたヒカリだったが、変な質問にハッと我に返ると、そこには記者に混じってメモなんぞを取っているジョルジュの姿があった。月の孫衛星軌道で回収船に拾われ、地球周回軌道に一緒の船で帰ってきたはず、そして彼女の後ろにさっきまでいたはずなのに、いつの間にやらちゃっかりと記者の間に混じっている。
「はっはっは、いやいやご協力有り難う。じゃあ、またな!」
「待ちなさい、ジョルジュ!ちょっと、待ちなさいったら!!」
他の質問をほとんど無視する形で彼女はジョルジュを追いかけて走り出した。だが、マスコミ関係者も黙ってこれを見逃すはずはない。
この日、表彰式がおこなわれるまでの間、軌道上で最大規模のステーションであるクラーク・ステーションは上を下への大騒ぎとなった。
この様子をテレビで見ていたキョーシローは
「相変わらず、仲のおよろしいこと」
とあきれ果て、他のスタッフ一同も
「今日のニュースはレースとは違う話題で盛り上がるんだろうなぁ・・・」
とため息をついたという。

 表彰式の数時間後。ようやくマスコミにも解放されたヒカリは、クラーク・ステーション内のとある喫茶店で、ジョルジュと向かい合っていた。目の前に置かれたレモンティを一口すすると、こうジョルジュにかみついた。
「公表なんてしたら承知しないんだから!」
「ああ、ヒカリの体重が四十七キロでスリーサイズが八十四・五十九・八十八ってやつか?」
「そうよ。」
ぶっ殺しそうな目をしたヒカリとはなるべく目を合わさないように努力をしながら、ジョルジュはとぼけた。いかにも
「コーヒーが美味しいです」
という表情で誤魔化そうとするジョルジュをヒカリは睨み続ける。やむなくいつまでも黙りやおとぼけを続けることが不可能だと感じた彼は、ヒカリにこういった。
「いやいや、いいプロポーションでないの。才色兼備の女性パイロット。最高だね。俺だったら何でも言うこと聞いちゃう。」
「そう思うんなら、そのメモ捨ててよね。これまで内緒にしてたんだから。」
コホン、と一つ咳をすると、彼はヒカリに対してこういった。
「まあ、それはそれとしてだ、何で髪切ったんだ?」
ヒカリはふと、同じ質問を記者にされたときとは違った感想を持った。その思いをジョルジュにぶつけてみる。
「似合わない?」
「いや、似合ってはいるけど・・・そうだな、俺の好みを言わせてもらうと、長い方が好きだけどな。」
「そう・・・ま、あなたに見せるために伸ばしてたわけじゃないからいいんだけど・・・」
何か引っかかることがあるのか、少し寂しそうにしているヒカリを元気づけようとして、ジョルジュは突如ニヤリと笑ってこういった。
「でもまさか、そこまでやるとは思わなかったよ。俺の完敗だ。だけど言っとくけどなヒカリ、今度は負けないからな。」
それを聞いて、ヒカリもニヤリと笑って受け答えた。
「ええ、いつでも受けて立つわよ。」
喫茶店の中に二人の笑い声が響いた。

 同時刻、リタイア後に自分の専用ステーションに戻っていたブラック伯爵は、先ほどまで行われていた表彰式の様子を録画で何回も未練がましく見返しながら、叫んでいた。
「くそーっ!本来ならあそこに立っているのは我が輩のはずだったのに・・・今度こそは見てろよ!」
録画されたテレビ放送の中で、アナウンサーがこう告げて、幕を下ろした。
「それでは皆さん、また次のレースでお会いしましょう!」

蛇足

 「ジョルジュ!あれだけ内緒にしといてって言ったのに!」
レースから一週間ほど経ったある日の午前十時頃、トレーニングウェアを着ているジョルジュを、今し方登校したばかりなのだろう、Tシャツにジーパン姿のヒカリが追いかけていた。
「しゃーねぇだろ!プレスが書いた記事にまで責任持てるか!」
彼女の身長・体重・スリーサイズは、インタビューの時に居合わせたゴシップ雑誌の記者によって世界中に流された。あの場にいたのは二人だけではなかったのだから、当たり前と言えば当たり前の結末であった。この記事はこれを読んだ何者かの手によって学内掲示板に張り出され、今や彼女のパーソナルデータは、学内で知らない者はないほど有名になっていた。
ヒカリは広いキャンパスの廊下で、ジョルジュを追いかけながら叫んだ。
「ちゃんと責任取ってよね!」
 

さめつり

 夜のとばりが降りる頃。吹きすさぶ寒風をものともせず、次々と人が集まってくる。大阪ミナミの繁華街、というよりは電気街として知られる日本橋から歩いて数分の場所にある、今宮戎。新年あけての一月十日は「十日戎」として知られている。要は一種のお祭りだ。
由香里は会社の同僚である山本とともに、社長命令でここにやって来ていた。この不況の中、
「今年こそ上場を!」
との意気込みにかける社長は、もう神様でも何でも、使えるものはとことんまで使い尽くすつもりらしい。近畿県内の別の神社やお寺にも、山田や玉置といった社員達が派遣されていた。
「でも凄い人ですねぇ。やっぱり不況だからかなぁ?」
「たぶんね。」
そんな他愛もない話をしながらお参りを済ませ、札を買う。そしてふと周りを見回したときに気が付いたのは、そんな不況に負けまいと一生懸命なのは、参拝に来ている自分たちのような人ばかりではなく、露店を出している人たちもであることに気が付いた。そこかしこに
「金魚すくい」
「ベビーカステラ」
「お好み焼き、焼きそば」
などの看板が見える。
そのおいしそうな香りにもちょっとつられはしたが、その中でも由香里が最も気になったのは
「さめつり」
と書かれた看板を掲げる露店であった。それはその他の露店とは異なる、一種異様な雰囲気を醸し出していた。
「山本さん。あの『さめつり』って看板、なんだと思います?」
疑問に思った由香里は隣をふらふらと食べ物の匂いにつられながら歩いている山本に尋ねた。彼はどうやらいつものようにラーメン屋がないか探していたらしい。
「え?ああ、あれ?ヨーヨー釣りみたいにな、鮫を釣るねん。」
「鮫ですか?!」
「あ、鮫言うてもおもちゃやで。いくらなんでも本物なんか危ないから・・・」
そこまで言ったとき、その露店の方から
「ギャーァァァァァ・・・・・」
という断末魔の悲鳴が聞こえてきた。説明していた山本の口がぴたっと止まる。何となくいやーな予感がしたような気がした。二人は首をギギギィという音がたっているんじゃないかというくらいゆっくりと、そしてぎこちなく回してその「さめつり」と書かれた露店の方を見た。
悲鳴はもう聞こえてこなかったが、そこには見覚えのある人物が一人立っていた。同じ会社の田村だ。
「あれ?あれ田村さんとちゃう?」
「あ、ホンマや。確か別の所に行ってたはずやんなぁ・・・」
そう、他の神社に派遣されているはずの田村が何故かそこにいたのだ。そして大きな銛を構えている。どうやら「さめつり」の順番待ちをしているらしい。
「山本さん。あの銛で釣るんですか?」
先ほどの山本の話とはあまりにも違うその田村の準備姿に、思わず由香里は尋ねた。どうやら山本も戸惑っているらしい。どうやら彼が思い描いてた「さめつり」とも違うようだ。

 やがて田村が入っていった。中から激しく水がはねる音と田村の
「おりゃ!」
とか
「とぅ!」
とか
「こなくそ!」
とかいう気合いのこもった言葉が聞こえてくる。どうやら何かと闘う必要がある「さめつり」らしい。山本は既に腰が引けているようだったが、由香里は逆に闘志をそそられていた。おもむろに山本に向かって言った。
「山本さん、やりませんか!」
「い、いや、だってあれはどうも・・・その・・・いやさすがにちょっと・・・」
冷や汗が山本の顔全体に吹き出す。唇は少し青くなっているようにも見える。二人とも何が中で行われているのかは完全に想像がついていた。が口に出すのは何となく憚られた。二人の対応の違いは、ただ単に性格的な差でしかない。
「山本さん、私はやりますね。だって二百円ですよ。」
山本は何も言わなかった。二百円が命取りになると言っても、こうなった由香里は聞かないであろう事を知っていた。彼女はそういう女性だ。
そういうやりとりをして、由香里が二百円を入り口にいた黒縁眼鏡をかけた男性に渡したたとき、店の奥からひときわ盛大な水しぶきと共に何かが飛び出してきた。よく見てみると、それは腰まで大きなホオジロザメに食いつかれて血を流している田村だった。
「痛い、痛い」
と騒いでいるうちに、彼はサメに飲み込まれてしまった。サメは彼を飲み込むと再び店の奥に戻っていったが、その時
「ポリンキー ポリンキー・・・・・」
というスナック菓子のメロディがどこからともなく流れてきた。発信元を探してみると、さきほどまでサメのいたところに田村の携帯電話が落ちていた。
「田村さ~ん、携帯鳴ってるよ~。」
山本が誰に言うともなしに、うつろな声でつぶやいた。どうやらさっきのシーンがあまりにもショックだったらしい。そのショックは他の順番待ちをしていた連中も同じだったらしい。確かに悲鳴を聞いてはいたが、まさか本物とは思ってもいなかったのだろう。USJのジョーズだって作り物だからみんな見に行くのであって、本物に襲われるのなら行列してまで見に行こうとは思わないだろう。
しかしそれが由香里の心に火を付けた。闘志が湧いてきた。その目は
「あれは私の獲物よ!」
と物語っていた。彼女はやっぱりそういう女性だった。尻込みする他の客を押しのけて、片手に銛、片手に山本の腕を掴んでずかずかと中に入っていった。今の光景を見た後では、誰もその順番抜かしを攻める者はいなかった。

 中は意外と明るかった。目の前には二十五メートルプールのような空間があり、その中を黒く大きいものが泳いでいる。露店のどこにそんな広さがあったのかはわからないが、もっと暗い雰囲気を想像していた由香里はちょっとがっかりした。しかしそれもつかの間でしかなかった。由香里の右手側から突如水しぶきと共にあのサメが飛び出してきた。由香里はあわててワンステップ後ろに下がると、その勢いのまま銛を突き刺した。
「はずしたかっ!」
角度が浅かったのか、鮫の肌に銛ははじかれ、獲物はそのまま遠ざかっていった。しかしそれも次の攻撃に向けて体勢を整えるためにすぎないことを由香里は肌で感じ取っていた。
第2撃も不発だった。お互いに全く傷を負わすことが出来ずにいる。由香里は「次は外さないぞ」とばかりに銛を構えて仁王立ちになり、鮫が移動するのを見ている。その隣で山本は「さめつりっていうのはね、もーたーで動くおもちゃのさめを・・・」と十分ほど前、由香里に説明していたセリフをブツブツとつぶやいていた。どうやら現実逃避に入ってしまったらしい。
そんな山本を後目に、第三撃の準備を整えた鮫を由香里は迎え撃つために銛を構え直した。二撃目の時に裂けたスカートからすらりと伸びた足も美しく見える。長い髪を振り乱したその姿は、ギリシア神話のアテナ女神もかくやというところだ。その由香里に田村を飲み込んだ鮫は再び襲いかかってきた。水面を巨大な尾びれで叩いてプールから飛び上がり、上方から一気に由香里めがけて逆落とし攻撃をかけてくる。由香里はひるまずわずかに横移動して鮫の歯の直撃を避け、その目をめがけて銛を突き立てた。銛は寸分違わず鮫の左目を貫く。その痛みに怒り狂ったのか、鮫はその場で尾びれを始め、体を大きくばたつかせ、しならせて暴れた。それをよけようとした由香里は足を滑らせて体勢を崩したところを鮫の歯にひっかけられ、上着を胸から左腕にかけて引き裂かれた。左の二の腕からは少し血もにじんでいる。さらに悪いことには続く尾びれの攻撃で足を引っかけられて転倒した際に、鮫に突き刺した銛を手放してしまった。

 鮫は何とかしてプールに戻り、怒りもあらわに再び攻撃態勢を整えようとしていた。由香里は左腕を押さえながら周りを見渡し、そこに山本が持っていたものらしい銛が落ちているのを見つけた。しかしとりあえずそれを拾いはしたものの、床にたたきつけられたダメージが抜けきらず、次の攻撃を敏捷に避けられるかどうかは微妙なところだった。
「何とか鮫に隙を作らせないと・・・」
彼女は何か役に立ちそうなものを探して視線を走らせた。そして見つけた。
(よし!)
そう思って彼女は鮫の動きを見ながらそのもののところへゆっくりと移動した。鮫の方も右目だけで彼女の動きを追いかけ、攻撃の隙をうかがっているようだった。どうも鮫も彼女と同じく、次が最後の攻撃になることを感じ取っているらしい。
彼女がその場所にたどり着いたとき、鮫は一気に攻撃してきた。再び上方からの逆落としだ。彼女はそのものを鮫の方に押しだし、攻撃を避けた。そのものはまだブツブツと何か言っていたが、立派に楯の役割だけは果たした。由香里はそれによって出来た隙を逃さず、今度は右目に銛を突き立てた。そして素早く引き抜くともう一度、今度はより深く目の部分に突き刺した。
鮫はしばらくのたうち、暴れていたが、だんだんとその勢いは弱くなり、やがてぱったりと動かなくなった。
「やったーっ!」
彼女は右のこぶしを上に突き上げ、勝利のポーズを取った。店の外にいた他の客や黒縁めがねの店主が入ってきてその様子を見、盛大な拍手で彼女の勝利を祝った。彼女は困難を克服し、見事に乗り越えたのだ。衣装を引き裂かれ、腕から血を流しながらも勝利のポーズを取るその姿は、周りの人からすると女神のように見えたことだろう。「民衆を先導する自由の女神」にも似たその姿は多くの人々に感動を与えたのだ。
その日、由香里は今宮戎のヒロインとなった。

 やがて彼女は会社を辞め、芸能界にデビューした。田村と山本は一命を取り留め、今も
「今年こそ株式上場を!」
と叫ぶ社長と頑張っていると言うことだ。
 

眠り小槌

 しまった!と思った時にはもう遅かった。彼女は隠し持っていた小槌で隙を狙い、コツンと僕の頭をこづいた。そして僕は意識を失った。

 「眠り小槌」というのを知っているだろうか?少なくとも小槌は知ってるよね?そう、小さな金槌みたいなモノだと思っても良いし、昔話に出てきた「打ち出の小槌」を想像しても良い。形はあれによく似ている。
最初は不眠症対策で作られた機械だったらしい。ホラ、目を覚ますには目覚まし時計がある様に、眠りたいのに眠れないときには、眠らせてくれる機械があると便利だと思ったことはないかい?普通は睡眠薬のお世話になるんだろうけど、「この眠り小槌」を使うと、例えばなかなか眠れない患者の頭をコツンとこづけば、即眠らせることができる。睡眠薬みたいに飲み過ぎたりすることもないし、副作用もない。そんなものがあったら便利だろう?

 そう、その小槌を彼女が今、僕の頭に振り降ろしたのだ。こういうものはすぐに本来の目的とは違う使われ方をされる。例えば、都合の悪い事が起こったとする。世間では「タヌキ寝入り」というのがよく使われる方法だと思うが、別に自分が眠ったふりをしなくても、相手が眠ってくれるという方法でも解決出来るわけだ。
つまり「相手を眠らせる」のが目的の様々な用途に使うことが出来るのだ。そして当然の結果として、形も当初の小槌形から、チカン対策のスタンガン形、警察向けの警棒形、へッドホン形にイヤーウィスパー形と、もう多種多様な形のものが市販されている。

 じゃあ何で彼女が僕の頭を小突いたのかって?それはもう明白。毎度毎度のテレビのチャンネル権勢いさ。たかだかそんな事でって思うだろ?でもうちなんかマシな方だと思うよ。現に今日だって夫婦ゲンカで使われて、眠らされた方がそのまま殺されたりしてるし・・・犯罪に使われるケースもずいぶん増えてきているみたいだ。いずれこれも医療用に限る、というただし書き付きになるんじゃないかな?
「ふぁーあ・・・くそう、今日も負けちゃったよ。でも明日は絶対勝つからな。」
「ふふん、そんなにうまくいくかしら?」
イヤ味な言い方をする。しかしまぁ今日のところは負けたのだから、おとなしく引き下がる事にする。おかげで寝不足とは完全に無縁だが、格好悪いことこの上ない。しかもこのところ連戦連敗。悔しくて仕方がない。好きな番組もなかなかリアルタイムでは見ることが出来ない。これはやっぱり何とかしないと・・・。
「ねえ、男の人って、こういうのにあこがれるものなの?」
堂々巡りに陥り始めていた僕の思考を現実に引き戻したのは、僕を呼ぶ彼女の声とテレビで流れる西部劇だった。どうやら、彼女が見たかった番組はもう終わったらしい。
「そうだなぁ・・・こどもの頃は結構憧れたかなぁ。」
画面ではガンマンが早撃ちを披露している。それを見た僕の脳裏に閃くものがあった。
(そうだ、これだ!)
このガンマンがやっている早撃ちのテクニックを身につければ、小槌にも応用が効くハズだ。そうすれば彼女に負けてばかりではなくなるし、ともすれば、連戦連勝も夢ではない。
(にやっ。)
にやにやしていた僕を気持ち悪そうに彼女は見ていたが、やがて関心をなくしたのか、再びテレビの方に視線を向けた。

 それから僕の特訓が始まった。小槌を片手に、拳銃よろしく早抜きを徹底的に練習し、一ケ月も経つ頃には相手と向き合った次の瞬間には小槌を抜ける様になっていた。
さらに腕に磨きをかけるため、次の一ケ月にはどんな体勢からでも早抜きが出来る様に、そしてさらには曲抜きも・・・。ここまで出来る様になれば、もう彼女に遅れを取るという事はよもやあるまい。

 そして決心から半年、未だに僕は負け続けている。何故かって?そりゃ元が西部劇だろ。つい抜く前に格好つける癖がついちゃってねぇ・・・その隙をつけこまれるんだよ。それにね、拳銃は抜いたら勝ちだけど、小槌は相手の頭を小突かないといけないからねぇ。なかなか難しいんだよ、困ったもんだ。もっとも、おかげで相変わらず寝不足とは無縁な生活を送ってるけど。
 

第四話 ブラックホール作戦(恒星の死とブラックホール)

 ある時、僕こと、大越裕一が研究室に入ると、そこにはいつもは何やら密談をしている、研究室の教授である森本武彦と技官である井手純一の姿はなく、代わってお客さんが応接セットのソファーに座っていた。あまりにもだらしない格好で座っているものだから
「一体どこのどいつだ?」
と思ったが、振り返ったその顔には新聞記者である山田さんの顔が張り付いていた。そしてその口からは挨拶の言葉が飛び出してきた。
「やぁ、大越くん、君か。」
「こんにちは、山田さん。今日はどうしたんです?」
山田さんはポリポリと頭をかきながら話を始めた。
「いや・・・今日も明るく楽しく仕事をしようと出社したらな、森本教授からいきなり電話があって、『凄い大発明をしたが一番最初に記事にする名誉を君にやろう』と言うわけさ。」
一体どんな風に仕事をしてるんだろう・・・?チョット訊いてみたかったけど、コワイのでやめておこう。
「で、来たんですか?」
「そう言われりゃ来ないわけにもいかないだろ?それにたまには確かに凄い発見もあるし・・・」
確かに。いつもは怪しい研究ばかりしてはいるが、教授も伊達や酔狂でこの地位にいるわけではない。ちゃんとまっとうな研究もし、世界的にも評価は受けているのだ。でなければ日本の地方大学とはいえ、教授になんかなれるわけがない。もっとも、例の病気のような研究さえなければもっと研究環境の充実した大学の教授になれたはずなんだけど・・・

 「で、教授は?」
山田さんはふるふると首を横に振った。
「いないんだよ、それが。樋口さんに訊いても『知らない』って言ってるし・・・君は知らない?」
「いえ、僕も今来たところですから・・・」
「そうか・・・井手さんもいないんだよな・・・」
「そう言えば・・・」
あたりを見回してみると、いつもは教授の金魚の糞をしている井手さんも確かにいない。二人して一体どこに行ってしまったんだろう?チッチさんも知らないとなると・・・
山田さんのことだから、教授が行きそうな所や潜んでいそうな所は全て見て回ったに違いない。すると学外か?どこへ?何をしに?
そんなことを考えていたら、研究室の扉が開き、教授が戻ってきた。
「おお、山田くんに大越くん。早かったな。」
「教授が直ぐ来い、っていうから飛んできたんですよ。」
「まぁまぁ、そう文句を言うな。今回の発明を聞いたら飛び上がってびっくりすること請け合いだ。」
山田さんが怪しそうな顔をした。疑ってる疑ってる。まぁ、たぶん僕も同じ様な顔をしていたと思うけど。
「あ、その顔は信じてないな?」
「まぁ、前回遊びに来たときがあれでしたからねぇ・・・。」
ああ、確か「GF理論」の時だ。相当怪しかった上に未だに結論が出ていない。でお山田さんはそのあとの「同期の桜」理論は知らないはずだから、まだ幸せな方だろう。
「で、今回は何なんです?」
「ふっふっふ。今回はエネルギー問題とゴミ問題を一気に解決できる発明だ。」
はて?うちの研究室でゴミ問題?不思議に思って訊いてみた。
「あんまり宇宙には関係なさそうですが・・・」
「バカもん!うちの研究室でやるのに宇宙に関係ないわけがないだろう?」
教授はちょっと怒って見せたが、もちろんポーズだろう。しかしどう「ゴミ」と宇宙とが絡むのかがわからない。昔は「デブリ問題」というのがあったそうだが、ここ十年ほどの努力で随分改善されてきているという話だし、エネルギー問題が絡むとなるとデブリには関係なさそうだが・・・ん、デブリ?
「あ、もしかして宇宙にゴミを捨てようとか・・・デブリになるとまずいから太陽に捨てようとか、そういうネタですか?」
はぁ、と教授は溜息をついた。いかにも「出来の悪い学生を持って大変だ」とでも言いたげだったが、この件に関しては出来は関係ないだろう。あえて言うなら「察しの悪い学生を持って大変だ」くらいで・・・
「そんなもんは前世紀から話があるし、実際にやっている所もあるではないか。そうじゃなくて、地上にあるゴミを使って、宇宙でエネルギーに変えようと言う話だ。」
「ほぉ、なかなかまともな話ですね。で、どうやってエネルギーに変えるんです?効率とか採算は?」
山田さんが矢継ぎ早に投げかけた質問を一旦遮り、教授は順番立てて話をしていくという意思を表明した。
「まず『どうやって』だが、これにはブラックホールを使う。」
「ブラックホール?」
山田さんと僕はまたまたお互い顔を見合わせた。
「いいかね?ブラックホールに物が吸い込まれるときには、位置エネルギーを失いながら落ちていく。その失った分の位置エネルギーは通常熱エネルギーに変換され、最終的には電磁波という形で放出される。」
「・・・って言うことは・・・どういうことなんで?」
「いや、だから、例えば電波とか、赤外線とか目に見える光とかX線とかになるんだよ。」
「山田さん、いつぞや降着円盤の特集記事を書いてたじゃないですか。」
あんまり理解できていない風の山田さんに思わず助け船を出した。確か連載で宇宙の話をしていたときにそう言うネタがあったはずだった。
「ああ、あのどこかの銀河の中心にあるやつだっけ?」
「そうそう、それだよ山田くん。それが『ブラックホール発電』の最も良い例だ。ガスがブラックホールに落ち込むときに光やX線という形でエネルギーを放出しているわけだ。そこで!その周囲に太陽電池パネルを並べてやれば無尽蔵の電力が手にはいることになる。」
「そう言えばブラックホールに家庭ゴミや産業廃棄物を放り込んでエネルギーを取り出すという話もありましたね。」
二十世紀のSFでもそう言う話が確か出ていたのを思い出した。そんなに革新的な話ではなさそうだ。
「そう!世の中のゴミを元手にエネルギーを取り出す。これぞエネルギー問題と環境・ゴミ問題を一挙に解決できる、まさに一石二鳥の策なんだ。」
うんうん、と山田さんも頷いた。どうやら納得できたらしい。何か引っかかっている所はあるようだけど。

 「なるほど。確かにその通りですな。しかしその手の話はSFの世界じゃ前世紀からあるんでしょ?それに簡単にブラックホールって言ってますけど、まさか有名な白鳥座X-1まで出かけていくわけにもいかんでしょう。絵に描いた餅になりますが・・・」
「確かに今のままならそうだな。ここからが今回の発明だよ。我々は将来のエネルギー確保のために、そして環境問題を解決するためにブラックホールが欲しい。しかし近くにはない。じゃあ君たちならどうする?」
何となく山田さんと顔を見合わせた。今日一体何回目だろう?どうやら向こうも同じ事を考えていたらしい。どちらともなく目を教授の方に戻して言ってみた。
「探す?」
「持ってくる?」
教授は右手の人差し指を立て、左右に振って見せた。当然左手は腰に当てられている。いわゆる「ちっちっち」というポーズだ。
「ま、まさか・・・」
「そう。ないなら『作る』だ。」
い、いや、確かにそうかも知れないけど、そんなものを一体・・・
「どうやって?!」
「大越くん、ブラックホールの出来方を説明してみたまえ。」
「え?はぁ・・・。えっと、まずは太陽の8倍以上の質量を持つ星が超新星爆発を起こした後に出来るのが恒星サイズのブラックホールです。そして宇宙の進化ともに形成されたと考えられているのが銀河中心のブラックホール。」
「その通り。これはGF理論からも明らかだ。」
いや、決して明らかじゃないと思うけど・・・とりあえず話を続けよう。
「他には宇宙初期に出来たと思われるマイクロブラックホールなんかが理論的には予言されていますけど、未だに発見例はなかったはずです。」
「うむ。で、だ。我々が作るのは恒星サイズよりは小さい、出来れば小惑星クラスの質量のものを考えている。」
小惑星クラスの重さのブラックホール?ブラックホールにしては相当小さい。天然にはたぶん存在してないんじゃ・・・
しかし山田さんの関心はそう言うところには向いていなかった。天然に存在しようがしまいが、教授が「作る」と言ったからには出来る物と信じているんだろう。原理的なところはすっ飛ばして、すでに応用面の話に入りつつあった。
「メリットはなんなんです?」
「扱い易いのさ。出来れば太陽系内に置きたいが、あんまり重いと太陽系内の重力バランスを崩してしまう。それに可視光線ぐらいで光ってくれた方が、発電のことを考えても都合がいい。X線ばかり出てくるのでは効率が悪いし体にも悪い。」
なるほど。確かに一理あるけど・・・何かが頭の中で引っかかっている。重要な何かを忘れてしまっているような気が・・・
「それなら人工太陽にも出来ますね。」
「おお!山田くん良いアイデアじゃないか!そうかそうか、人工太陽が出来れば、それで火星のテラフォーミングも早めることができるかもしれない。」

 盛り上がったその時、井手さんが勢いよく扉を開け部屋に飛び込んできた。そしてその場にいつメンツのほとんど(つまり山田さんと僕)を無視して、教授に畳みかけるように話し始めた。
「教授、まずいです。いや、まずいことに気が付きました。小惑星クラスじゃ話になりません!」
「質量降着率かね?」
井手さんは頷いた。
「直径100kmで質量が10の19乗kgくらいの天体をブラックホールにすると、シュバルツシルト半径はたったの100オングストロームにしかなりません。発電するにはやっぱり、6000K位の温度の所が半径10から100mくらいに来て欲しいじゃないですか。これで計算すると1秒間に10の16から17kg、1日で地球の10分の1、1年だと地球36個分もの重さのゴミを出さないとダメです!」
教授は「ぽか~ん」と口を開けていた。きっとある程度予想はしていたが、まさかそんなにたくさんの物をブラックホールに送らないといけないとは思ってもみなかったのだろう。
「じゃあ、適切だと思われるブラックホールの質量はどの程度になるかね?」
「そうですね、木星くらいがいいんですが・・・まぁ金星や火星をブラックホールにしても、それなりには何とかなりそうです。」
そうかそうか、さっきから何か引っかかると思っていたのはこのことか!降着円盤の表面温度はブラックホールの質量、1秒間に落とす物質の量(質量降着率)に比例し、そしてブラックホールからの距離の3乗に反比例する関数になる。あんまり距離を大きくするとブラックホール自体の質量が小さすぎるので、大量のゴミを捨てざるを得なくなるんだった。
「そういえば昔、『さよならジュピター』っていうSF映画がありましたな。確か小松左京原作だったかな?」
山田さんが耳を鉛筆でほじりながら言った。すでにちょっと諦めモードに入っている感じだ。すでに記事にはなりそうもないと踏んでいるんだろう。
「どんな話なんです?」
「太陽系にブラックホールが侵入してきてな、地球に衝突する軌道に乗ってたんだ。それを阻止するために、木星を爆破してブラックホールの軌道を変えるっていう話だった。」
よくもそんな昔の作品を知ってるものだ。いつもながら、この人が蓄えている変な知識の量には感心する。
「今回は、『さよなら』ではないぞ。何しろエネルギー源になるんだから。」
「しかし、重水素を核融合燃料として取り出すって話があったじゃないですか。まずいと思いますぜ。」
うーん、と教授はうなったまま黙り込んでしまった。まぁ、そりゃあ太陽系の開発可能な惑星は資源として期待されているものばかりだから、簡単につぶすわけにはいかない。
「じゃあ、金星あたりをつぶすか。あれならテラフォーミングにも手間がかかるから、火星をつぶすよりはマシだろう。」
「いえ、どの惑星をつぶすにしても、今度はそこから地球に送電するのが困難になります。」
「ラグランジュポイントに置くんなら、井手さんの重力発生装置でもいんじゃないんですか?」
言ってみた。当然の事ながら地球-月系のラグランジュポイントに木星を持ってくるわけにはいかないが、人工重力場ならいろいろと調整できて便利な気がしたのだ。
「ああ、だめだめ。結局重力場は形成されるから地球や月にも影響が出る。ついでに言うと、あれでブラックホールクラスの重力を維持するのにどれだけエネルギーがいることか・・・下手したら赤字だよ。」
「赤字?」
「得られる電力以上に電気が要るってことさ。」
それでは確かに話にならない。
「じゃあ、一体どうすれば?」

 しばし研究室を沈黙が包んだ。ちょっと重苦しい雰囲気に耐えかね始めた時に、教授がぼそっと、物騒なことをのたまわった。
「やっぱり近隣の適当な恒星をふっ飛ばすしかないな。」
「でもそんなことが・・・」
「ちゃんと準備してある。もしかしたら太陽系内に置くのは無理かもしれんと思ってな。恒星を人工的にブラックホールにする方法も考えてあるのだよ。もっとも、そこまで装置を送るのに時間がかかるから、人類の今後を見越しての実験になるがな。」
なるほど。ということはまたしてもすぐには結果が出ないパターンか。こういうのを一体うちの研究室はどれだけかかえているんだろう?
「でもうちの研究室の予算では太陽系外にプローブを送るだけの予算はないですよ。」
「産学協同というやつさ。じつは既にアポは取ってある。」
教授がニヤリと笑ったその時、教授の机の上にあるヴィジフォンが鳴った。隣の部屋からチッチさんがかけたようだ。
『教授。四菱電機からです。』
「おお、おお、待ってたんだよ。直ぐにつないでくれ。」
教授はヴィジフォンのスイッチを入れた。だが直ぐにその顔が曇り始める。かいわはこちらにも筒抜けになっているが、どうも先方は何やらはぐらかそうとしている雰囲気が見て取れる。苛立って詰め寄った教授に対して、向こうは遂に抵抗をあきらめ、真実を語った。
「え、無理?どうしてなのかね?採算が採れないって言っても、すぐには確かに採れないが・・・回収見込みがないものには出せない?」
ヴィジフォンがプツッと切れる音がした。どうやら交渉があっさりと決裂したらしい。真っ暗になった画面から顔を上げ、我々三人を見た教授は残念そうにこう漏らした。
「ほんの二世紀ほど待つだけなんだがなぁ・・・それも出来んらしい。」
そりゃ無理だろうなぁ・・・と思った。いくら何でも二世紀先に投資するほど余裕のある企業は少ないだろう。しかし一体どういう案を提示していたんだろう?訊いてみよう。
「一体どんなネタを持っていったんですか?」
「ああ、近隣の恒星には太陽よりも小さい赤色矮星なんかが多い。それをブラックホールにして発電をしようというネタさ。」
「そうやってブラックホールにするんですか?」
「重力発生器を改良してね、恒星の重力を操れるようにしようとしたんだ。そうすれば中心の密度や温度を上げて、小さい恒星でもG型くらいにまで光度が上げられる可能性だってあるし・・・」
「最後には超新星爆発を起こさせてやれば、ブラックホールも造れるからな。」
超新星爆発だって?そんな物騒な・・・周りの恒星系にまで影響を与える事をしなくても・・・
「飛び散ったガスが我々の太陽系に悪影響を及ぼしたらどうするんですか?!」
「ああ、その辺は心配ない。超新星爆発と言っても様々な形態があることが既にわかっている。確かK.Nomotoの研究だったかな?回転軸に垂直な方向にだけガスが飛び散るトーラス型爆発を使えば、我々の太陽に影響を及ぼさずにブラックホールを作ることも出来るはずだ。」
なるほど。そう言えばこういうのはすでにコンピューター・シミュレーションで散々計算されているもんな。その方法については検討してた訳か。
「はぁ・・・」
しかし横で山田さんが溜息をついた。我々三人が行った技術的な検討をもあんまり大した事だとは思っていない節がある。
「あのぉ・・・素人考えで申し訳ないんですがね、赤色矮星をG型にってことが出来るんなら、わざわざブラックホールを作らなくてもただ単に周りに太陽電池を並べればいいんじゃないんで?」
・・・・・僕を含めて三人ともが沈黙した。確かに言われていればそうだ。わざわざブラックホールにする必要すらない。
「そ、そうか!何でこんな簡単な事に気が付かなかったんだろう?!」
「もう既にブラックホールを作るっていうのが前提になってましたからねぇ・・・」
「そうそう、あとジェットを吹き出させて、そのガスで直接タービンを回すとか・・・」
まぁ、ジェットで直接タービンをってのは置いといても、これは大変に間抜けな話だった。山田さん一人だけが
「ダメだこりゃ」
というような素振りを見せている。
放心状態から解けた教授は、それでも何か思いついたように、井手さんに耳打ちをした。しばらくごにょごにょ言った後、何やら合意が成り立ったらしい。
「仕方がない、とりあえずゴミ処理機能だけを優先するか・・・」
しかし、教授と井手さんの顔は笑っていた。その後二人は山田さんを連れてどこかに行った。そして研究室には僕だけが残された。

 二週間後、山田さんのところの新聞に
「大学教授がゴミ処理会社を設立! ブラックホールが世界を救う?!」
という見出しとともに、教授がベンチャー企業を設立し、世界各地からゴミを回収・処分する事業を展開することなどが書かれていた。
当初は僕も
「そんなのにお客さんが集まるんだろうか?」
などと悲観的に捕らえていたのだが、これがどうしてどうして。次から次へとゴミ処理の依頼が入ってくる。おかげで最大の難関だと思っていたブラックボールまでの輸送も、名乗り出てくる会社がいたりして、順調に事は進んでいる。まさに
「転んでもタダでは起きない」
の見本のような展開だった。
というわけで、今ではもっとも害がないと判断されたラグランジュ点であるL3にブラックホールが浮かんでいて、日々ゴミ運搬船が訪れている。捨てられるゴミはご家庭からの廃棄物を始め、再処理不可能な核廃棄物まで様々だという。採算が採れているかどうかは知らないが、いろんな軍備削減条約に従って、あちこちの国がいろいろとヤバイ物を捨てることもあるとかで、とりあえず儲かっているという噂だ。その証拠に、
「ブラックホールをもう一つ作る」
という話も持ち上がっているようだし、何よりも最近チッチさんの顔が少しだけ穏やかになったように見える。
教授と井手さんはゴミの確保が安定してきたこともあり、ブラックホールの周辺で発電の試験設備なんかを作って、いろいろと実験を繰り返しているらしい。少なくともこの結果が出るまでは、この研究室も平和なんだろう。
ああ、願わくばこの平和が永遠に続きますように。教授がまた変なことを始めませんように。

だが数日後・・・
「大越くん、実は大変面白い仮説を思いついたんだ。今度のは凄いぞ~。どうだ聞きたくはないかね・・・・・・」
・・・・・・・・・・はぁ・・・・・・・・・・・・